その昔、由紀さおりの『夜明けのスキャット』を聴いたときは、ビックリしたなあ、もう!(古いか!)歌詞がないのに、圧倒的なメロディーと旋律!そして歌の上手さ。そのあとの『手紙』もすごかった。そしてお姉さんとの童謡のハーモニー!!!
さてこの本。「私たちの歌に涙を出して聴いてくださる人々、表情を和ませついていた杖を忘れて拍手してくださる人々がいる限り歌い続けたいと語る姉妹が25年間の歌手生活、童謡コンサート十周年の思い出等を綴る」そのエッセンスを紹介しよう。
・(祥子)私たちがいつも歌っている『赤とんぼ』でも、聴いていらっしゃる人が百人いれば、百の『赤とんぼ』がある、とはよく言われていたでしょう。1994年の大晦日の紅白歌合戦ほど、それを実感したことはなかったわね。
(さおり)童謡には、百人いれば百の思いがある、ということね。終わった、終わったと楽屋に戻ったら母が待ちかまえていて『審査員の赤井英和さんが泣いていらしたわよ』って。家に帰ってからビデオを観て、あらためて、よかった、いい一年のしめくくりになったと、自分でも納得できたわね。
・『夜明けのスキャット』は、総売上200万枚という大ヒットでした。けれども最初は、レコードになる曲としてつくられたものではありませんでした。そもそもこの曲は、1968年の秋、TBSラジオの『夜のバラード』という番組に5つ目のテーマソングだったのです。
・母の最初の仕事が、私の芸名を考えることだったのですが、きものの専門家になろうとしていただけのことはあります。まず、結城の紬から「結城」が浮かびました。いずみたく先生にご相談すると、「章子さんは、色が白いから、雪がいい」と最初からおっしゃっていました。名前は、結城が冬なら、夏のきものは、紗(しゃ)や絽(ろ)。紗を織るのはどうかしらと「紗織」とできました。でも「結城紗織」では、あまりに重々しい。そこで「結城」が「由紀」になり、「さおり」とひらがなになりました。母は、なおも言いました。「きものの王者と言われる結城と、日本の母を代表する織物、紗からとった名前なんですよ。名前に恥じないようにがんばってちょうだいね」立派な芸名が、どこかで私を支えているようです。
・(いずみたく先生)「おそらく、これまで見たこともないようなお金が、印税として、あなたの手に入るでしょう。そのうちの半分は貯金していもいい。けれども、残りの半分は自分に投資しなさい。これからいい仕事をしていくために投資するのです」
実際に、それまで見たことのないようなお金をもらいました。そして、先生の言いつけを守って、自分に投資しました。それは歌のレッスンはもちろんのこと、一流と言われる人々の芸術にふれたり、夢を与える歌手として、ステージの衣装や装置、共演のミュージシャンや裏方のスタッフの人たちにも十分なお金をかけることでした。
・ひばりさんがお亡くなりになったとき、さまざまな方が人柄と仕事をしのんでいましたが、中におひとり「自分が軍歌が好きなことを知って、ひばりさんが自分のためだけに軍歌を録音したテープを贈ってくださった」ということを話していらっしゃいました。そのとき、そうだ、この心なのだ、と私は思ったのです。歌を仕事にするものは、つねにより多くの人のために歌いたいと思います。けれども、ひとりのために歌うことがあってもいいと思うのです。
・童謡には三つの要素がある、とおっしゃったのは芥川賞作家であり、歌手でもある新井満さんです。「昔をなつかしむ」「最後はだれもいなくなり、ひとりぼっち」そして「夕暮れ」だそうです。『赤とんぼ』『里の秋』『砂山』『みかんの花咲く丘』『花嫁人形』などにも、こうした要素があるでしょう。愛する人と一緒にいても感じる、どうしようもないう孤独感。いえ、人を愛するからこその寂寥感、郷愁それは、愛や人の心の痛みをわかる人だけが感じるものなのでしょうが、日本の童謡には、そんな心がせつせつと歌われているのです。だから、子どもより、人生を知った大人の人たちの心を打つのだし、より多くの方々が聴いてくれるのだわ、と納得したのです。
そうそう!!!そのとおり!!!目の前の、たった一人のための歌がワタシの歌よ!それが「酒場のギター弾き」よー!由紀さおりと同じレベルで話しちゃダメだよね!(笑)オススメです!♪