「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「庶民の日本史 ねずさんが描く「よろこびあふれる楽しい国」の人々の物語」(小名木善行)

全作品読破と「むすび大学」全聴講をめざしているねずさんこと、小名木善行さん。いいわー!響きまくるわー!!!日本人のDNAが揺さぶられるわー!!!

 

島から島へ、海洋民族としての太古の暮らし。外国人も驚いた戦国時代の民度の高さ。ボランティアや旅行を楽しんだ江戸の庶民・・・歴史のほんとうの主役、庶民のいきいきとした暮らしぶりに迫る!従来の日本史のイメージをくつがえす、壮大な歴史ロマン!」そのエッセンスを紹介しよう。


・日本における旧石器時代のはじまりが、いまから12万年前。
新石器時代のはじまりが、いまから3万8000年前。
縄文時代のはじまりが、いまから1万6500年前。
弥生時代のはじまりが、いまから3000年前。


3万8000年前には、すでに伊豆半島から神津島までを船で往来していた倭人たち。時の経過とともに、2万年前にはこの海域を自在に船で往来していたであろうことは想像に難くありません。美しい海と島。島から島へと自由に海を渡って暮らす人々。当時の人口は15万〜20万人です。何千年も経過すれば、すべての部族はみんな血が混じります。つまり全員が親戚になります。


・日本人は、いまでこそ稲作民族と呼ばれるようになりましたが、万年の単位で歴史をさかのぼれば、日本人はもともと海洋族であったことがわかります。船に乗って大海原に出てしまえば、自由人なのです。いまでも日本人には、「てやんでえ、こっちにはこっちの人生があるんでえ」といった気分が濃厚にあります。もともとの日本人が海洋民族であり、人から言われたことよりも、自分で良かれと思うことを優先するという自由な気性を万年の単位で熟成してきたからなのかもしれません。


縄文時代という1万4000年も続く途方もなく永い期間にわたって、我が国には人が人を殺すという文化がなかった、ということです。武器を手にするようになったのは弥生時代後期、つまり一世紀以降のことです


・自分が住むのが「イエ」、親族の住まいが固まっているところが「ムラ」、その周りには食べ物を生む「ハラ」が広がり、人々はそこで「ハラ」を満たしました。そのハラの向こうにあうのが「ヤマ」で、ヤマの向こうには、また別なムラがあります。ムラが集まったエリアが「クニ」です。クニの「ク」は引き寄せるもの、「ニ」は二つのものが結びつくことを意味します。つまり男女の結びつきによって血縁者が集まっているエリアがクニでした。


・我が国では古代から税はお米で払うという習慣がありました。冷蔵庫のなかった時代、年単位の備蓄ができる唯一の食料だったからです。このお米を全国から集めて中央に備蓄し、災害が発生して食糧不足に陥った地域に、そのお米を配布したのです。つまり、災害時には、場合によっては、自分たちが収めた何倍ものお米を返してもらうことができた。つまり災害保険敵な意味を合わせもっていたのです。いわば災害保険敵直接税といった制度が発達したのです。


「みやこ」とはもともとは「大切な米蔵を意味した言葉です。「みや」=大切な場所、「こ」=米蔵のこと。


神武天皇の「日本建国の詔」」「仁徳天皇による六年の無税ー民のかまどの物語」「明治時代まで日本で刑法が定まらなかった理由」「奈良の大仏に寄進をした庶民の活力と経済力」「新田の開墾から生まれた武士」「庶民のお楽しみ、猿楽と田楽とお能の誕生」「ザビエルが記した日本人の暮らし」「家康が行った大坂一極集中経済体制の打破という大事業」「目をみはる日本水軍の強さ(刀の使い方)」「文化を創ろう江戸の町(うなぎの蒲焼き、醤油の起こり、江戸の役割語、日本独特の話芸文化(落語、講談、浪曲))」「石田梅岩の商人道(超高無料、出入り自由)」「意外と豊かだった江戸期の農民」「百姓一揆の実態は「心をひとつに」したデモ」「一度も盗まれなかった露天の無人現金輸送取扱所」「世界最高の教育機関だった寺子屋」「生涯の師匠となった寺子屋の師匠」「思いやりの「江戸しぐさ」」など。

 

感動するなあ……。日本人であることの誇りを思い起こしてくれるなあ。ねずさん、いいわー!文科省の大臣になって、教育を変えて欲しい!超オススメです!(・∀・)