「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本建国史」(小名木善行)

この本の著者、ねずさんこと小名木善行さんっていいんだよなあ!こういう人が歴史の先生をやったり文科省の大臣になればいいのになあ!

この「むすび大学」は、どの映像もおもしろく、目からウロコ!これで単位が取れたらいいのになあ!♪

 

www.youtube.com

さてこの本もいいよお!「思わず涙がこぼれる日本の歴史!ねずさんが、日本神話、古代史ファン待望の日本の建国史を語る。縄文時代から室町時代まで、史実の裏側を探り、これまでの歴史とは違った、驚愕の日本史を著した書」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・日本という国を考えたとき、日本にも、日本の基準点があります。それが「建国の詔(みことのり)」であり、仁徳天皇「民のカマドの煙」であり、舒明天皇うまし国」であり、天智天皇「公地公民」であり、持統天皇尊朝愛国」です
そしてまた縄文時代から続く日本文明の蓄積もまた日本の基準点です。そしてそれら基準点の根幹にあるのは、人々が豊かに安全に安心して暮らすことができる国への渇望です。
 
「江戸っ子文化」は、喧嘩っ早くて、べらんめえ調で、気っ風が良くて、あっさりしていて、いつまでも怨恨を引きずらない。そんな文化は家康公が江戸に町を築いたときに、これを江戸の文化として、そのような方向に育てようとして、生まれた文化です。どのような人や、どのような文化にスポットライトを当てるかによって、文化の方向が決まるのです。何もしなければ、ただの混沌(カオス)状態になります。カオスはいまの日本そのものです。
 
・万年の昔の人たちは、島を拠点として漁をして暮らしていたと考えられます。島から島へと外洋を航海するときは、船が小さい時代には、波やうねりの少ない朝凪の時間ん、波に乗って向こうの島へ渡ることになります。「朝だ、いざ海が凪いだね」「いざ、波を超えて出発しよう!」遠いご先祖のそんな会話が、いざなぎ《いざ凪》いざなみ《いざ波》という伝説になったのかもしれませんね。
 
縄文時代には、武器を手にして人を殺すという文化が我が国に存在しなかったということです。
 
・世界中、どこの国にあっても、歴史にある王朝は征服と制圧の歴史です。けれど天然の災害が多発する我が国では、はじめから助け合うこと、民衆こそを大切な宝とすることが、国家建設の経緯と理念ですこれは世界の歴史に類例のない素晴らしいことです。そのような素晴らしい歴史を、学校で教えないというのは、あまりにももったいないと言えるのではないでしょうか。
 
もともと日本は、その建国の理念が、災害時における助け合いにその根幹を持ちます。縦に長い日本列島では、天然の災害は、多発はするけれど、必ず被災地いい気が限られるという特徴があります。冷蔵庫のなかった時代において、長期の保存が可能は食材は、唯一、お米です。そのお米を全国で生産し、これを備蓄し、備蓄されたお米を被災地に届ける仕組みを中央官庁(朝廷)が取り仕切る。こうすることで、日本全体、諸国が天下のもとに統一されるという仕組みによって形成されたのが日本です。
 
我が国の文化は、古来「大切なことは隠す」という文化です。いまでも三種の神器は宮中に祀られていますが、それらは形代といって、レプリカです。神社であれば拝殿の裏に、もうひとつ奥の院が造られますし、和歌であれば、言いたいことは直接に言わずに、あえてそこを隠して和歌を詠みます。詠み手は、その隠された思いを三十一文字から察するつまり読み取るのが和歌の文化です。感情を表に表すときも、本当の気持ちは隠すということが文化になっています。周りの人は、その人の心を、いろいろな手がかりから察していくことになりますが、このことが、思いやりの文化にもつながっています。
 
生きることは試練の連続です。その試練に打ち勝つ、もう立ち上がれないと思うほどつらい経験をしてそこから這い上がるために何が必要なのかといえば、自分の原点に帰ること、現状の自分のあり方の素朴な疑問を持つこと、その素朴な疑問から目を離すことなく、そこから自分なりの考察を深めることが、結果として、新たな人生を切り開く鍵になるのではないかと思うのです。歴史とは、そういうことを学ぶためにある。そんなふうに思います。
 
 
ヤマトタケル日本武尊)と弟橘比売命おとたちばなひめのみこと)」「皇居の楠正成と和気清麻呂の像」源義経静御前」は、感動するなあ!全著作を読破しよ!超オススメです!(・∀・)