「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル」(森博嗣)

 

高校生になったころ、漠然と大学には行くんだろうな、とは思っていたけど、どこの大学に行くか、どんな大学があるのか、なんてまったく知らなかった。そんなとき、二つ上の兄が明治大学に進学したことで、結果的に同じところに行くことになった。もう卒業して36年かあ!はるか昔だなあ!♪

 

さてこの本。大学に二十数年勤めてきて、一番感じていたことは、自分の意見はマイナーなんだな、ということでした――人気作家が語る「僕のいたところ」。学生、教育、研究……問いと答えを重ねるうちに、大学というシステムそのものの問題点が浮き彫りになる、今までになかった「大学論」そのエッセンスを紹介しよう。

 

今の子は相対的に昔の学生よりも大人しくて、礼儀正しく、とても穏やかで素直んで良い子が多い、と感じることです。これは「近頃の若者は〜」なんてよく聞かれる話しとは正反対かもしれせん。ハングリィ精神というか、のし上がってやろう、という意欲は、確かに薄れているかもしれません。
 

子供にやる気を出させるのはどうすれば良いか。それは、社会で特別に成功すれば、どんなことができるのか、を見せてあげる以外にないのではないでしょうか。そんなことをしなくても、現状の普通の生活で自分は充分だ、円満な家庭を築き、小さな一戸建てに住んで、家族仲良く幸せに暮らしたい、と考えるのは、ある意味では非常に正当なんですよね。これを打破することは、かなり難しいといえます。

 
スポーツに例えると、優勝したら、プロにスカウトされて、とても贅沢な生活ができる、という社会では、みんなが必死に練習をしました。でも優勝しなくても別にそこそこ豊かな生活ができる世の中になれば。そんなに必死になって練習をする人はいません。だからといって、スポーツは無意味だということではないのです。これからは勉強自体が楽しいことだ、というふうに教えないといけないと思います。
 
・(働かない若者について)働かないで、そのかわり自分のしたいことに集中している人生ならば、それはそれで立派ではないでしょうか。ちゃんと働いているけれど、他人に迷惑をかけている人よりは、働かないでも、周囲に迷惑をかけない人の方が、僕は良い状態だと思います。
 
・(学力低下について)まず「学力」とは何かを議論することは大事です。学生が身につけるべき「力」とは何か、ということですね。また学力が低下している代わりに、それこそ「心のゆとり」が増加しているならば、それはひとつの成果ではないでしょうか。点数は取れないけれこ、人間性が豊かになっている、と考えてあげてはどうなのでしょう。
 
・いろいろな分野にコンピュータが導入され、人間が行う作業はとても楽になりましたので、人間に求められる能力は、きちんと気配りができる、次にどんなトラブルが怒るか予想ができる、というような、機械では思いつけないような、発想、着眼、想像といったものではないでしょうか。
 
・今の世の中は、明らかに「家庭」というものを美化しすぎていると思います。もしも、どうしようもない家庭に自分が今いるという子供は、どうすれば良いでしょう。もう自分には未来がない。すべて家庭が悪い、とぐれてしまうしかないのでしょうか。反対に、素晴らしい家庭に自分がいたとしたら、とにかく、素晴らしい子供にならなくてはいけない、という逆のプレッシャがかかるでしょう。家庭内暴力という言葉がありますが、子供にとって、家庭とは、もう生まれたときから縛られているもの、それこそ暴力の一種と考えても間違いないではありません。子供の自由を奪っているのですからね。ただ「家庭なんで無条件に良いものだ。すべてを解決する愛の場だ」と考えることは、もうほとんど宗教の世界だと思います。
 
・住宅のデザインで「家族の団欒」という言葉。それって本当ですか?家族の愛ってリビングをオープンにしていつも顔を合わせて、愛情を確かめ合う?では、どうして個室があるのですか?家族に顔を合わせたくないときだってありますよね?すべてオープンにして、明るいファミリィを築こう、という暴力が、やはり無意識にうちに侵入しているように思います。
 
人間の知的能力は、問題に答えることではなく、問題を見つけることである、といういのが僕の考えです。したがって、質問をする、今問うべきことを考える、という行為は、テストで記憶を確かめるよりもはるかに重要です。
 
学力が少しくらい低下しても、マナーが悪くても、みんな悪気があってしているわけではありません。競争をしなくても良い。みんながそこそこ楽に生きていける世の中になったのです
 
小説を書き始めたときは、これは論文を書いているとき、研究をしているときと似ているな、と感じました。つまり、頭をフル回転させて思考し、そして発想する、ということです。嫌な会議に出たり、意味もない書類を作ったりよりも創造的な仕事をしたな、と。つまり大学教員の仕事よりも、小説執筆の方が、研究者の仕事に似ている、と思ったのです。研究と小説の方が近い
 
文章が上手な人とはどんな人なのか、というと、いろいろな人物になって文章を読める、ということです。客観的に文章を読む、そういう目がある、という人のことだと思います。読んだ人がどう感じるのか、をいろいろなタイプによって沢山想像することができる。こう読む人がいるし、こう感じる人もいる、というケースをより多く展開出来る人は、それだけ文章に力があると思います。
 
・(学校の先生の給料が安すぎる?)特に、小学校、中学校の先生は、給料を今の三倍くらいにすべきでしょうね。そうすれば、もっと有能な人材も集まりますし、学校における沢山の問題が自然に解決できそうな気がします。教育というのは社会にとって重要なことであって、もっともっと国家予算を使う必要があるでしょう。
 
・(大学や同窓生にメッセージがありましたら、お願いいたします。)いえ、特にありません。普通ないのでは?(笑)
 
そうそう、そう思うわ。ゆとり教育って悪いものじゃなかったんじゃないかなー!?オススメです!(・∀・)