私の、いや日本国民の永遠のヒーロー、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄。
「戦後日本の安定と幸福を象徴した「長嶋」。その天衣無縫な明るさは何に根ざすのか。長嶋茂雄というパーソナリティをさまざまな学問から解析して、人気の謎に迫った本邦初の秀作論文集」そのエッセンスを紹介しましょう。
・資料の宝庫「大宅壮一文庫」に次々と貯蔵される長嶋茂雄関連記事も、いまでは優に3000件を超えていると言われている。しかしその大半がながしをあくまでも野球人としてとらえ、したがって内容はいかにも野球じみたものに終止しているのも事実である。長嶋茂雄という著名にして、最も話題にされる人物を、時代の中でより広い視点で見据え、考察するという試みは、膨大な資料群にあって意外に少ない。
・本著は、その数少ない資料、書籍の中から秀作、傑作を厳選して構成したものである。いわば、長嶋茂雄なる存在を日本及び日本人との関連性から探り、またパーソナリティの解析によってその不滅の人気の秘密に迫るなど、あらゆる角度から検証した本邦初の試みでもある。
・長嶋茂雄がスキャンダル報道の生け贄になったことが、いまだかつてあったのか。監督としての采配や能力に対する痛烈な批判はあったものの、答えはNOである。なぜか。長嶋世代の編集幹部がその手の取材を容認するはずもないと、どこかで感じていたことは事実だが、それ以上に私自身が長嶋茂雄という“聖域”に土足で踏み込むことの罪深さにおびえていたこと。さらに、情報が事実だったとして、その長嶋のスキャンダラスな側面の暴露が、いかにも自分自身の恥部をさらけ出すような心痛として跳ね返ってくるのではないかという懸念が、私の中で働いたことにある。早い話が自己防衛本能である。
・長嶋茂雄への同化。こうした欲求は私だけでなく、おそらく中年の域に達したマスコミ人の大半に共通していることだろう。
・長嶋茂雄という人物像を刻みあげておく過程で、もっともむずかしく不思議な部分は、彼がジャイアンツ・ファンからばかりではなくて、他チームのファンからも同じように愛されてきたというところである。ジャイアンツは蛇よりもきらいだが、長嶋だけにはむしろ積極的に好感を持つという者が多い。長嶋が打って巨人が負けてくれれば最高にいい気分がする、というのである。長嶋という人間は、現代における「愛される人間像」の典型といいきってもよいように思われる。
「長嶋茂雄の「笑顔」を消すことは戦後民主主義を潰すことだ」というのは名言だねえ。さすが長嶋さん!野球ファン、長嶋ファン必読!超オススメです。(・∀・)!