「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「素直に生きる100の講義」(森博嗣)

最近、久しぶりに出会う多くの人から「体調、大丈夫ですか?」と聞かれると「はい、隊長も、副隊長も元気です!」と答えるのだが(笑)そのとき、ああ〜オレは、1年半前に入院していたんだあ!と気づく。おかげさまで、それくらい元気になりました!♪やっぱりこの経験があって、もっと自分に素直に生きよう!ガンバらないでいこう!と心に強く決めたのだ!(・∀・)

 

さてこの本。「ひねくれた社会」での、正しい生き方。素直に「自分」と「世界」の関係を捉え直すための論考100」そのエッセンスを紹介しよう。

 

上手く出来ません、と初心者は言うが、上手いかどうかは二の次。なんでも同じだが、どうして「上手くできません」と言うのだろう。何を作ったの?何を書いたの?できたものを見せて、と言うと、たいてい、なにもできていない。ようするに「上手く出来ない」のではなくて、「できない」のである。ほんの少し「やりかけた」程度なのだ。結局、上手くなる方法は作り続けることである。作り続けている人は、そんな漠然とした疑問を口にしない。
 
「お金があって、好きなことができて良いですね」と言われるが、それは違う。好きなことをしたいから、金を稼いだだけだ。ただ、好きなことがどうしてもしたいから、しかたなく、寝る間も惜しんで頭を使って、疲れるけれど我慢をして、バイトをした。、だから、金ができたにすぎない。原因と結果が逆なのだ。時間がないからやれない、のではなく、やれないから時間がないと言う、ということに気づくべきだ。
 
やる気がなかった仕事の方が、案外結果が上出来だったりするやる気満々のものは期待が大きい、だからこそ不満が出る。評価も辛めになる。しかし、やる気がないときには休憩も多く別事をあれこれ考えるし、なにか少しでも面白くならないものかと工夫もする、そういった苦悩が、あるときに自分を超えたところへの一歩を可能にするのではないか。自分好みの作業、やりたかったことというのは、終わったときに少なからずショックを受けるのだ。他方、苦しんでやり遂げた作業が終了するのは、苦悩からの開放を意味している。つまりどちらも結果的には楽しみが味わえるとういことだ。後者の場合を「やり甲斐」というのだと思う。
 
成功する人は、本当に休む時間が短いのだ。なにかを成し遂げたら、すぐに次のことを始めている。僕は休まない方だ。そのかわり、根をつめて仕事をしない。だらだらと毎日やる。小説の仕事は一日一時間だ。工作も少しずつ進める。作品が書き上がったら、一日休むなんてことはしない。すぐに次のことを始める。亀は一歩一歩が鈍い。コンスタントに進めることは、一番簡単な「苦労」の手法だ。
 
今必死になれば、貴方はいくら稼げるのか?貴方は何人の人を動かせるのか?その想像を常にすることが、社会で成功する基本の一つだ。
 
仕事とか鍛錬とか苦労は、しかたなくやっているのである。報酬を得るためにやっていることだ。それに比べて、遊びや趣味は、好奇心に導かれ、浪費をしてでもやりたいわけだから、人間の自由というか、素晴らしい状況である。それは平和につながるものだ。毎日好きなことをして「遊んでいる」方が立派だと感じる。
 
映画やドラマを見ながら、音楽を聴きながら小説や文章を書くことは多い。子供に、一つのことに集中しなさい、と教え教えられたが、どうもうまく集中できなかった。しかし、ものごとを発想するときの頭脳は、たいていそんなふうに落ち着きがないものである。
 
人間も、人生の半分のところで、裏返しになって生きてみたら、面白いのではないか。僕は、これをやってみた。それまでにない人生を生きられるかな、と仄かに思ったことを覚えている。あっさり裏返しになった。実は、どんな服もリバーシブルなのである。
 
プロというのは、書きたいことがなにもない状態でも書ける。つまり「書くことがない」という状態はないことになる素人が書いたものを読むと、やはり、書きたいことを書いているいわゆる「主張」になっていることが多い。プロというものは、書きたいこと、書くことがないときでも書ける人のことだ。
 
調子が良いときにセーブし、悪いときこそゴーサインを出す。金が入って嬉しいときに、使わないで我慢をすると、貧しいときに、その金が活きる。昔は「今買わないとなくなってしまう」というような品があった。けれど、今はまず考えられない。どんなものでも、必ずあとで買うことができる。僕が趣味に使っている金の大半は、昔の僕が欲しかったものを見つけ出して、貧乏から我慢して一所懸命仕事をしていた僕に対するプレゼントに費やされている。
 
「もったいない」という気持ちが、大きな無駄を生むことがある本当はできるだけ早く見切りをつけ、全部を捨てて最初からやり直すと、意外にも少ない労力であっさりと物事が解決することが多い。
 
・スポーツ選手は、メダルを取ると応援してくれた皆さんのおかげだ」「皆さんに恩返しができた」決まりきったコメントを語る。もっと個人的に「嬉しい」「悔しい」で良いのではないか、と思う。メダルを取れなかった選手は、苦労をしてこなかったのか?恩返しができなかったのか?応援が足りなかったから負けたのか?時の運、天性の才能、そういった個人ではどうすることもできない要素が大半なのに、すべて人間の精神のせいにしてしまうところに、どうしても不自然さを感じてしまう。上品ではない。下品なのだ。「恩返し」というものは、本人が恩返しができた、と思うだけで充分なものだ。
 
 
「たいしたことをしていない人ほど、一年を振り返る」「一日に一時間しか仕事をしない、についてインタビューの依頼があった」「使えそうなものを集めるのが日々の作業。これは仕事とは正反対」「「技術」とは、簡単な方法を探すことである」「余裕があれば、下らないことで腹が立たない」「孤独こそ、人間の価値である」「感化されやるい人が、政治家になっているようだ」「「六千人が孤立」というニュース。それって「孤立」なのか?」「ポイント特典というものに、まったく縁がない」「メンテナンスフリーとは、素人にはメンテナンスできないということ」「僕は、電車n乗るのが大嫌いです」「顔を洗わないと、なにかいけないことがあるの?」「みんあで森博嗣と話そう」「マイナスになっているときほど、神様は助けてくれる」など。

 

いいなあ。こんな講義があったら聞いちゃうよね。スッキリした。森博嗣さん、いいわー!オススメです。(・∀・)