「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「いつもそばには本があった。」(國分功一郎 互盛央)

福岡にきて、一番困っているのは、本を読む時間がないこと。通勤時間がないのは、いんだけど、電車のゆらゆらが一番、読書の環境に合うんだよね〜!これは困った!!!

平日はバタバタしているので、土日の読むようにしている。福岡図書館からいつも10冊借りているので、いつも本がそばにあるのだ。

 

さてこの本。「1冊の本には、たくさんの記憶がまとわりついている。その本を買った書店の光景、その本を読んだ場所に流れていた音楽、そしてその本について語り合った友人……。そんな書物をめぐる記憶のネットワークが交錯することで、よりきめ細かく、より豊かなものになることを伝えるため、二人の著者が相手に触発されつつ交互に書き連ねた16のエッセイ。人文書の衰退、人文学の危機が自明視される世の中に贈る、情熱にあふれる1冊!」そのエッセンスを紹介しよう。

 

ここに一冊の本がある。それが自分にとって大切な本なら、内容についてはもちろん、それを読んだ場所の光景や、そこで流れていった音楽、そのとき抱えていた気持ち、そしてその本についてだれかと話しをしたこと……さまざまな記憶がまとわりついているものだ。
 
二十一世紀の哲学者であるシャルトルのベルナルドゥスという人は「私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだ」と言ったという。巨人の肩に乗る小人は、巨人よりも遠くまで見ることができるし、多くを見ることができる。だが、それは小人が巨人より優れているからではなく、巨人の偉大さに助けられているからでしかない。
 
・私について言えば、ソシュールに接近しようとしたとき、丸山圭三郎という巨人の型に乗っているからこそ、良好な見晴らしの中で接近を試みることができたということだ。そして、丸山圭三郎ソシュールも、同じように先を行く巨人たちの肩の上で、さまざまな交錯を経ながら、みずから巨人となった人たちなのだと思う。
 
・本書確かに「本」に関する本ではあるが、すでに星の数ほどある「本」に関する本のように「このような本を読むべきだ」とか「本はこのように読むといい」といったことはいっさい書かれないだろう。だからこの本は間違ってもガイドブックではないし、分かりやすく何かの役に立つこともないだろう。何しろ本書の著者は「本」についても「本」をめぐる経験についても、何かを教えようとしていないし、いかなる意味でも「正しさ」を訴えようとしていないのだから。だが、それこそが二人の著者が目論んでいることなのだ。
 
・言語はあらかじめ存在している現実の名称ではなく、言語こそが現実を作り出している。それはつまり「現実」なるものは人間にとっては存在しない少なくとも認識することができないということであり、人間が認識しているのは言語による構築物だけで、それは「現実」の側から見れば「幻想」であるということだ。

 

國分功一郎さんっていいよね。彼のおかげで哲学に目覚めている。オススメです。(・∀・)