福岡にきて感じるのが地元出身のミュージシャンの多さ。特に「チューリップ」が好きな人が実に多いっ!!!妻に、『福岡は、チューリップが好きな人が多いんだよね!』って話したら『赤?黄?』っていってたっけ。(笑い)
この本が書かれたのが2013年だから9年前かあ。財津和夫さん、65歳のときかあ!
『心の旅』『青春の影』『サボテンの花』『切手のないおくりもの』など、数々のヒット曲を生みだしてきた著者が、その長いアーティスト人生の中で見つけてきた、幸せに生きるためのシンプルな考え方」そのエッセンスを紹介しよう。
・あこがれるのは、ネコのような生き方です。ネコは最小限のものしか持っていない。うらやましいなあと思います。ネコのように生きられれば、どんなにいいか。エサをもらって、ぬくぬくと陽だまりで丸くなってまどろむ。無理もしていないし、やせ我慢もしていない。余分なものがまったくない。あのシンプルさを見習いたいんです。ネコを膝において、好きな映画のDVDを観るのが至福のときです。じんわりとしたぬくもりを膝や手に感じるだけで、浮世の憂さも消えてゆく。幸せだなあと、つくづく感じます。
・スマホもタブレットもすべて「いらないもの」。ぼくの心のなかではいらないんです。いま、らっきょうの皮を一枚ずつ剥くように、自分のなかの「いらないもの」を捨てています。最後の“芯”は残るはず。そのいちばん大事なものの正体は、ぼくにもわからない。
・捨ててしまってよかったと思う「いらないもの」のひとつが「あきらめないという考え方」です。「もういいや、自分の好きなことをやろう」と開き直れたんです。なぜそう思ったか?限界が見えたから。限られた時間しか残っていないなら、少々嫌われてもいいから好きなことだけやろう、わがままを貫こうと、頭を切り替えたんです。その結果、新たな世界が拓けた。「上手にあきらめる」ことができるようになったことで「好きなことを、好きなようにやる幸せ」を、はじめて手に入れたんです。
・ぼくら団塊の世代は「がんばらなきゃいけない」という宿命を背負って生きてきました。いまになると、そんなにがんばらなくてもよかったんじゃないかと思います。ぼく自身も、いろんなことを我慢してがんばっちゃったのが失敗でしたね。
・これまで千曲近い曲をつくってきましたが、ぼく自身を投影したものはほとんどない。特に実体験に基づくラブソングは『心の旅』と『サボテンの花』くらいですよ。
・試練ばかり続くのが人生ですが、予想外のことで傷ついたとき「これは芝居だ」と思ったら、少しはラクになるかもしれませんよ。
・すべて自分でコントロールしようと考えずに、「なるようになるさ」と開き直ることで救われる。最近は、強固な意思を持たず、流されるままに生きる人が、うらやましいとさえ感じます。
・そもそも歌は、なにかしら苦しみがあるから歌うのではないでしょうか。歌うことで発散したい、という心理もあると思います。
・いま街に流れているラブソングは“愛という商品”を売るためのCMソングなんですよ。ラブソングとは“心の叫び”のようなもの。叫ぶ必要のない概念は、ラブソングになりえないからです。ひょっとすると、ぼくの考えるようなラブソングは、未来社会には存在しなくなるのかもしれませんね。
・昔は、歌詞をあまりたいせつにしていなかったんですよ。言葉では伝えたいことの50%ぐらいしか伝わらないのではないか。でも、音ならば、伝える側の想いはもちろん、それを超えたものが相手に届くかもしれない、だからメロディーを大事にして、自分の伝えたいことを感じてもらおう。そう考えていたのです。「歌詞なんていつでも捨てられる」なんて思っていた。ほんとうは理解されたいくせに「わかってもらえなくてもいいや」と突っ張っていたのかもしれません。けれど年齢を重ねるうちに、言葉で伝えることも重要かなと思いはじめた。言葉の力や必要性を再確認して、歌詞をたいせつにするようになったのです。逆をいえば、メロディーやサウンドで説得することの限界を感じたのかもしれません。
・『心の旅』は、どうしてもヒットさせなきゃいけなかった。切羽詰まった状況だったので「この曲のメインボーカルは姫野にしよう」というプロデューサーの提案も受け入れた。結果的には姫野の甘い声が女の子の心をつかんだ、次のシングル『夏色のおもいで』でも外部の作詞家(松本隆さん)の起用が決まるなど、ぼくの戸惑いと葛藤は続きました。『心の旅』でボーカルを奪われ、『夏色のおもいで』で詞を奪われ……「いままでの自分は、いったいなんだったろう」と挫折感に打ちのめされたのです。
いいなあ……財津さん、自然体で。枯れた境地というのか。ワタシにもよく伝わる。やっぱり人生後半に入ったんだなあと実感するなあ。音楽ファン、チューリップファン必読っ!オススメです。(・∀・)