「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「遠野物語・山の人生」(柳田国男)

f:id:lp6ac4:20220201225124j:plain

 
柳田国男といえば遠野物語遠野物語といえばあんべ光俊だよね。(笑)
 
さて、柳田国男は、意外にもはじめて読みました。「数千年来の常民の習慣・俗信・伝説には必ずや深い人間的意味があるはず。それが記録・攻究されて来なかったのは不当ではないか。柳田の学問的出発点はここにあった。陸中遠野郷に伝わる口碑を簡古かつ気品ある文章で書きとめた遠野物語、併収の「山の人生」は、そうした柳田学の展開を画する記念碑的労作」なかでも心にズドーン!と残った逸話を紹介しよう。
 
 
「山に埋もれたる人生あること」
 
 
30年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で伐(き)り殺したことがあった。女房はとくに死んで、あとは十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情でああったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。何としても炭は売れず、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで。頻(しき)りに何かしているので傍に行って見たら一生懸命に仕事に好かう大きな斧を磨いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。
 
この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中に出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分からなくなってしまった。私は仔細あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大な人間苦の記録も、どこかの長持の底で蝕ばみ朽ちつつあるであろう。
 
 
……こんなことがあったのか……シンジラレナイ……。貧しかった日本では、このようなことが当たり前だったのかもね。名作です。オススメです。

 

f:id:lp6ac4:20220201225124j:plain