「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人はなぜ歌うのか」(丸山圭三郎)

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ワタシがカラオケが嫌いになったのはいつからだろう!?40代後半になったころからだろうか!?それまではカラオケのお誘いがあれば、歌っていたけど、今は行きたいない、歌いたくない。あの電子音、キンキンした音、人の(下手な)歌は聞きたくないし、歌っている間に、自分の歌を探すという失礼なこともしたくないっ!!!だってワタシが「人間カラオケ」だから歌詞を覚えているので、歌いたければギターがあれば、その場で歌えるから行く意味がないのだっ!♪ (・∀・)

 

さてこの本。あらためて、人はなぜ歌うのだろう!?(・.・)

 

日本人はなぜこんなにカラオケが好きなのか!?人間は唯一の“歌う動物"であり、歌うことは生の回復であると考察する言語哲学の第一人者であり、かつ熱烈なカラオケ道の実践者である著者が、カラオケの奥深さ、上達法などを、楽しくかつ真摯に語る。歌うことの好きな人、カラオケ愛好家におくる最高に楽しい一冊」そのエッセンスを紹介しよう。


・歌は酔いをよび、酔いは歌をさそう。面白いことに、酔って鼻歌が出る人は多くても、絵を描きはじめたり、粘土をこねたりする人はめったにいない唯一の“歌う動物”である人間の特性は、古今東西さまざまに形を変えながら継承されているのである。カラオケを卑俗なものと決めつけて目くじらを立てるよりも、この日常世界のお祭りを楽しんだほうがいい。歌う阿呆に聴く阿呆、同じ阿呆なら歌わにゃソン、ソン」というくらいのゆとりが欲しいような気がする。
 
「カラオケ七不思議」前奏・間奏の怪、消しこみの怪、編曲の怪(キー下げ)、キー変換の怪、相対音の怪、採点器の怪、カラオケ教室の怪。
 
人は鳥のように歌うのではないから世界に気づく大げさな言い方かもしれないが、カラオケを通して世界と人間が見えてくる。音楽は他のすべての芸術活動・スポーツと同じように、動物的本能から文化へと移行する源となっている。スイスの言語学者ソシュール音楽も舞踏も広い意味のコトバであり、これが動物と人間の境界を画する唯一のしるしだ」と考えた。
 
・一般に、私たちの実生活では無駄を省き最小限のコストで目的を達成するのが一番とされている。しかし、いわゆる無駄のなかにも大切な無駄がいくつかある。たとえば誰もが知っている小倉百人一首の歌にも、何と多くの美しい無駄が見出されることか。
 
【カラオケ対談 マイクを握ればエクスタシー 歌声はエロティシズム】井上陽水丸山圭三郎
 
・(陽水)日頃は、いわゆる音楽的な生活というのは全然やっていません。音楽を聴くことも、ギターを持つこともほとんどないですよ。テレビでも音楽番組は見ないし。自分の曲を聴くのは、商品として送り出す前の段階ですね。何か手落ちはないかな、という感じで。
 
先にメロディをつくることが多いですね。まず「なかなかこのメロディはいいな」って自分でその曲に好意を持って、それから詞を埋めていくことが多いんです。メロディも歌詞も、つくっているときは集中してるんですが、振り返ってみるとみんな偶然が重なってできあがったような感じがして。よくこんな曲ができたなって思いますよ
 
・作曲はやる気になればいくらでもできるけど、作詞は難しいですよ。言葉の場合は、いいとか悪いとかのしっかりした基準をみんながそれぞれ持ってまるからね。
 
本居宣長の説。歌(短歌)の本質とはなにか。人はひどく悲しいとき(あるいは深く心が動いたとき)、思わず「あー」と嘆声を挙げる。しかしこの嘆息が、自分の悲しみに追いつかないと感じるろき「あー」をさらに引き伸ばし、なおそれを“折り曲げて”みる。つまり「あ〜〜〜」とやる。この、首を長める(=詠める)こと、曲折すること、そのことでなんとか自分の悲しみに一つの表現を与えようとすること、まさしくそういうことのうちに「歌」の本質があると。
 
「カラオケ七つのタブー」「カラオケ七つすすめ」「鳥」(谷川俊太郎)「無駄だからこそ魅かれる」など。

 

いいなあ!ワタシにとって「歌はすべて!」「歌は人生そのもの!」だからなあ!説得力あるわー!オススメです。(・∀・)

 

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