ワタシの原風景。新潟十日町松之山の保育園で歌った「歌の町」「靴が鳴る」「一年生になったら」。これが最も古い音楽の記憶だ。これらの曲を聞くたびにあの頃の風景がよみがえる……あー、懐かしいっ!!!
さてこの本。「赤とんぼ」「浜辺の歌」「かあさんの歌」…。長く愛唱されてきた歌はどのように生まれ、時代の波にどのように洗われてきたか。作詞者、作曲者にはどんな人生のドラマがあったか。誕生の地、ゆかりの地を全国に訪ね、胸にしみる数々の逸話を掘り起こす。いま静かなブームを呼んでいる唱歌・童謡の世界を深く楽しむ上で最適の本」そのエッセンスを紹介しよう。
「うれしいひなまつり」(作詞 サトウハチロー 作曲 河村光陽)
ハチローはこの歌を嫌がっていた。晩年まで「だれか、 これにとって代わるひな祭りの歌を書いてくれないかなあ」 とぼやいていた。理由は二つ。 一つは言葉遣いがハチローらしくない。『お嫁にいらした』と、 身内のことを敬語を使っている点が、後々もひっかかっていた。 もう一つ。「それは、歌を作ったころ、 既にみな他界していた同じ母を持つ姉妹への思いではないか」
四歳年上の姉からはピアノの手ほどきを受け、 詩的なものの見方などの面でも大きな影響を受けた。 大好きな姉は、嫁ぎ前も決まっていたが、 胸を患ってお嫁に行かずに18歳で亡くなった。 色の白いお姉さんだった。次男の四郎は「随分悲しい曲なのに、 何で〈うれしい〉んだろう」と不思議に感じた。やがて、「 ひとつのレクイエムなんだなあ」と思うようになった。「 作家や歌手のことを話す時は女性のことしか話さない父が、 自分の姉や妹の話はしなかった。ものすごく涙腺の弱い人だから、 この歌が悲しくてやりきれなかったのかもしれません」
「蝶々」(作詞 野村秋足 稲垣 千穎(いながき ちかい 原曲 スペイン民謡)
『蝶々』が生まれた明治初期。 今でいう唱歌は一曲も存在しなかった。 その後に作られた多くの唱歌が忘れられていった中で、 日本最初の唱歌が、 稀代の傑作として行き続けているという事実ー。 これを奇跡と呼ぶならば、それは、 縁あって明治の唱歌教育の取り組んだ、 一人の男の執念が招き寄せたものであったのかもしれない。( 伊沢修二)
「早春賦」「春よ来い」「花」「朧月夜」「とんがり帽子」「浦島太郎」「青い眼の人形」 「ぞうさん」「ドレミの歌」「手のひらを太陽に」「花嫁人形」「 おもちゃのチャチャチャ」「赤い靴」「椰子の実」「 島原の子守唄」「高原列車は行く」「みかんの花咲く丘」「 夏は来ぬ」「美しき天然」「むすんでひらいて」「てるてる坊主」 「しゃぼん玉」「サッちゃん」「夏の思い出」「われは海の子」「 浜辺の歌」「月の沙漠」「やぎさんゆうびん」「あの子はたあれ」 「鉄道唱歌」「かわいい魚屋さん」「ちいさい秋みつけた」「 故郷の空」「証城寺の狸囃子」「時計台の鐘」「埴生の宿」「 故郷」「旅愁」「荒城の月」「里の秋」「赤とんぼ」「靴が鳴る」 「夕焼小焼」「おはなしゆびさん」「通りゃんせ」「桃太郎」「 かなりや」「たきび」「いぬのおまわりさん」「砂山」「 かあさんの歌」「ナイショ話」「汽車ポッポ」「雪の降る町を」「 おもいでのアルバム」「仰げば尊し」「蛍の光」など。
今度、小田原に帰ったとき「めだかの学校」を覗いてきます。オススメです。(・∀・)