「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「会社の人事」(中桐雅夫詩集)

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「酒場のギター弾き」であるワタシ。その昔は「恋愛歌人でもあった。「五行歌」では「愛しか歌わない」ということで過去、5000首以上の歌を書いていた。歌を作るときには「詞」も書く。「詩」じゃないんだよね。「歌」か「詞」なんだよね。

 

さてこの本。中桐雅夫という詩人、はじめて知りました。読売新聞の政治部記者というい顔を持つ異色の詩人。いいなあ、この刺すようなコトバ。中でも目に止まった詩を紹介しよう。

 

嫌なことば

 

何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、
言い出した奴の息の根を止めてやりたい、
知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、
悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ1

 

「やっぱり」とか「ぴったし」とかにも虫酸が走る、
舌足らずのタレントの甘ったるい言い方だが、
やっぱり、ぴったりと言えないのなら、
「びっくりした」を「びっくしした」と言うがよい。

 

「なになに的」を使わずに本を一冊書いた人もいる、
政治家の「前向きで」など、使用禁止は当然だ、
評論家の「ある意味では」をやめて、
どんな意味でかを、はっきり書くようにしたらよい。

 

生きていてどれほどのことができるのでもないが、
死ぬまでせめて、ことばを大切にしていよう。

 

 

ことばの言い換え

 

なんでも変えるのを進歩的だと思っている、

町の名などどんどん変えたが、住宅難は相変わらず、

郵便の配達が楽になり、料金が安くなったわけでもない、

日本という国名が変わらぬのが不思議なくらいだ。

 

八百屋が青果商、床屋が理容師と偉くなり、

もとの名は八百屋お七や床屋政談に残るだけ、

洋裁のホームソーイング、編物もニットに変わったが、

縫ったり編んだりの腕であがったからではない。

 

彼の死は、自殺ではなく自死だという人もあるが、

死はいくら言い換えても死だ、

言い換えに浮き身をやつすのは、

中身の薄さをごまかすためにすぎぬ。

 

ことばは時とともに変わる、しかし忘れるな、

変える必要がないものは変えないことが必要だ。

 


母子草

 

四つの子供が、四つの広島の女の子が
「もっと生きていたかった」といって死んだ。
そんなことがあっていいものか、
子供の細いのどをこんな言葉が通っていったとはー

 

誰が殺した、なにが殺したかはいえぬ、
だが、その死に責任をとる者がいないとは、
哀れな死だ、ひとしお悲しい死だ、
しかもまだ小学校へもいかぬ子供なのにー

 

だれでも経験があるだろう、運動会で
子供たちが懸命に走っているのをみると
眼がうるむのだ、自分の子でもないのに、
ビリの子供の力走には涙が出てくるのだ。

 

夏の道端に母子草の小さい黄色い花が咲く、
四つの娘と、娘を非命に死なせた母親をだれが忘れよう。

 

いいなあ。鋭いなあ。詩人ってすごいなあ。ここまで切り込むのか。1979年発行。ちょうど私がギターで歌い始めた年だなあ。また詩を書いてみようかな。オススメです。(・∀・)

 

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