ワタシの好きな詩人、谷川俊太郎さん。なかでも小室等さんとの共作「プロテストソング」をはじめとする歌は十代の頃とても影響を受けた。その証拠に詞と曲は全部覚えている。♪
さてこの本。「詩人・谷川俊太郎が自らを語ったエッセイ集。生い立ちや身辺についてのほか、「私」「子ども」「老いと死」「女と男」などのテーマをめぐる文章を収録」
そのエッセンスを紹介しよう。
・考えることで人間はひとつの場所から他の場所へと動く。 それは他人の眼にもうつるはっきりした行動の形をとることもある が、他人の眼には静止としか見えてない場合にも、 考えることで人間は或る具体的な決断をしながら動いているはずで あり、その動きはたとえごく僅かなものであれ、 いつかは何かの形で他人に伝わるものだろうと思う。 そのような動きを伴わぬ考えは、考えと呼ぶことができぬだろう。
・立派な鼻をもっているわけではないのだが、 私は匂いに心を動かされることが多い。幼い頃の思い出も、 匂いにむすびついたものが、いちばん官能的でもの悲しい。 視覚や聴覚や触覚などの他の感覚に比べて、嗅覚はほのかで、 とらえ難い。それは私の内部のもっとも暗いところ、 未分化なところに訴えかけてくるように思われる。 匂いはそれを感ずる時間が瞬間的であればあるほど、 私の中に得体のしれぬものを呼び覚ます。
・素裸になってしまうと、 誰が誰だか分からなくなるってことなのです。髪の色も、 体のいろいろなところの形もそれぞれにちがうのだけれど、 着ものを着てるととても個性的に見えていた顔立ちが、 裸だとそう個性的に見えないのです。紹介された時に、 どうやら無意識のうちに顔と着てるものとをむすびつけて覚えてい たらしいんですね。つまり、 着てるものもその人の広い意味での顔の一部だったわけです。
・木はどんな木でも、みんないいな。 空を衝く大樹ばかりが木じゃない。 ひょろひょろの若木もかわいいし、 町中の埃をかぶってちぢこまった気もいじらしい。 枯木にだって威厳がある。 切り出されて地面にころがっている丸太だって、 痛々しい気持もするけど、いい匂いがしてぼくは好きです。 それから木陰ってのがまたすてきなんだな。木に甘えちゃう。 木に頼っちゃうって感じね。
・「住む」ということばが、「澄む」と同根であると知ったとき、 おどろきとともに一種の安らぎを感じたのを覚えている。 あちこち動き回るものが一つところに定着することと、 浮遊物が沈んで静止し、気体や液体が透明になることは、 たしかに意味の上でよく似ているが、 それがそのまま或る場所で生活するということにむすぶつくのは、 やはりわれわれがおおもとで農耕定住の民であるからだろう。
やっぱり谷川さんの視点は実にユニークだね。オススメです。(・∀・)♪