「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

POETRY〜「I was born」(吉野弘)

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私の大好きな詩人の一人、吉野弘さんの祝婚歌を初め、印象に残る詩が多いよね。


ここで紹介する詩は、確か、中学の教科書に掲載されていたと記憶する。いま読んでも新たな感動がある。
その全文を紹介しよう。


【 I was born 】


確か 英語を習い始めて間もない頃だ。


或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 
青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。
物憂げに ゆっくりと。


 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。
頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 
世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。


 女はゆき過ぎた。


 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが 
まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。
僕は興奮して父に話しかけた。

        • やっぱり I was born なんだね----

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

        • I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は

生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 
僕はまだ余りに幼なかった。
僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

        • 蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが 

それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと 
そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。

        • 友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって

大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。
胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。
ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて
ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 
目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで 
こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。
私が友人の方を振り向いて<卵>というと 
彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ。
お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。


 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

        • ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体----


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