7年前に森永卓郎さんの講演を聞いた。ワタシの友人の元同僚ということで格安(!?)で我々の仲間の勉強会に来ていただいたのだ!その時は、テレビで見る温和な森永さんとは打って変わって、キビシイ口調の辛口のトークだった!裏と表を見た気がした!(笑)
さて、この本。二回目の緊急事態宣言が決まったね……。新しい時代でもしかしたら「所得半減」になるかもしれない。そのときのために学んでおきましょう。そのエッセンスを紹介しよう。(・∀・)
・昭和30年代の文化は、個人的な思い入れや世代を通り越して、 日本人全体をとりこにするほどの魅力を持っていたのだ。 昭和30年代は、戦後、 日本の文化が最も輝いた時代だったということさえできるのではな いだろうか。決して豊かな時代とは言えないが、 その輝きの源泉は、一言で言うと「優しさ」 なのではないかと思う。 一般庶民がこれからの時代を生き抜くために必要なコミュニティや 文化のモデルとして、 昭和30年代の優しい社会を据えるべきなのではないかと思う。
・大分県豊後高田市は、人口1万8600人ほどの地方都市。 駅前商店街に「昭和の町」の核となる施設・昭和ロマン蔵( 駄菓子屋の夢博物館) がオープンしたのは2002年10月のこと。 一年間で約20万人、 観光バス多い日で約40台分の観光客が訪れるようになった。 昭和の時代の懐かしい風物に出会える趣向がそこかしこに凝らされ ている。昭和の街の観光売上高は年間2億8000万円( 観光客一人1400円で20万人)
・ 日本一の駄菓子屋おもちゃコレクターの小宮裕宣さんを実に3年が かりで口説き落とし、福岡から豊後高田に移住までさせて、 昭和ロマン蔵に展示させてしまったのである。 小宮さんが持っているコレクションは、いずれも「 それほど高価なものではない」「 古き良き昭和の時代を彷彿させるものである」。 昭和30年代から40年代にかけての駄菓子屋やおもちゃ屋でごく 普通に売られていたものだ。
▲ 読み進めていたら、明治大学の後輩の清末浩一さんが乗ってました!あー!ビックリ!!!(笑)
・国東半島は神社仏閣の多い地域で大小160のお墓が存在し、 歴史的にも弘法大師信仰の厚い地域だったと言われている。 そのため弘法大師を祀るお堂に周辺の農家が作物を捧げ、 その作物を旅行く人に食べてもらう「おもてなし」 という習慣が古くから存在していた。 その習慣がたとえば商店で売れ残りの食べ物が出た場合には誰かに 食べてもらうという習慣となって、いまも生き続けている。
・商店街の人々は、口をそろえて「私たちはいわゆる『観光地』 ではなく『商店街』を目指している」と主張する。ここが「 観光地」とは決定的に異なっている。 他所が絶対に真似のできない「おもてなし」 の風土に根付いたソフトが存在していた。
・ギリシャのサラリーマンは、朝の7時から昼の2時まで働く。 残業はほとんどしない。というのも、 労働時間が週40時間を超えると、税率が突然高くなり、 手取りが増えなくなるからだ。午後2時に仕事を終えると、 家に帰って遅めの昼食をゆっくりと取り、 夕方の6時くらいまで昼寝をする。 だから平均的なギリシャ人の食事は一日一食か二食で、 ヘルシーな地中海料理であるため、 中年になっても太ったりしない。スローライフとスローフードが、 ギリシャを世界トップクラスの長寿国にしているのである。
・「モリナガ、日本人はなんでそんなにあくせす働くのか。 オレのサラリーはたしかに安い。だが、 うまい料理とおいしい酒と恋愛があって、それ以上、 人生になにが必要だと言うんだい?」思うに、ギリシャ、 イタリア、そして「昭和30年代」の日本には、 低生産性構造ゆえの多様な文化、それも「曖昧で優しい文化」 が息づいていた。みなが好き勝手に小さな商売をしながら、 助け合って幸せに生きていたのである。
・「複業」は「副業」とは違う。「副業」 は生活費補填のための苦役だが「複業」 は自分の好きなことしかしない。 趣味と実益を兼ねた小さなアルバイトをつまみ食い的にやって小銭 を稼ぐ。
・「所得半減」で「昭和30年代」の「幸せ」を取り戻す「 6つのヒント」
1 ムダに働くことを止める
2 まずは「複業」を初めてみる
3 楽しむことを生きがいにする
4 「浮気」を「本気」に変える
5 地域に溶け込んで生きる
6 「第二の人生」をプランニングする
「副業」じゃなくて「複業」!いいねえ!そのうち「福業」になればもっといいよね。オススメです。(・∀・)