- 作者: 竹内正浩
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/08
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
さて、この本はユニークだよ。そっかあ…地図もウソをつくのかあ…。国土地理院や陸地測量部の地形図をはじめ、著者が長年収集してきた貴重な地図の図版を、80枚も掲載。中でも一番惹きつけられたのは、あの夕張の話。そのエッセンスを紹介しよう。
・大夕張は、夕張市がいの10キロメートルほど東にある、夕張川の最上流の谷に忽然と出現した三菱鉱業の炭鉱町だ。正式な字名を鹿島という。昭和30年頃には約一万8000人の人口を数え、幼稚園から高等学校にいたる教育機関、商店、食堂、生協、金融機関、炭鉱病院、映画館、パチンコ屋、スキー場など、都市に必要と思われるものは、ひと通りなんでも揃っていたのだ。閉山の年でも、商店の数は120軒以上あったというからその反映ぶりがうかがい知れる。
働き盛りの人が多かったから、たくさんの子どもが大夕張で生まれ、育っていった。児童・生徒数も半端ではなかった。大夕張に鹿島小学校一校しかなかった昭和20年代、自動数は2500名を超えた。また、昭和30年代には幼稚園に通う園児の数が多すぎて、二日に一度の交代登園を余儀なくされたという。
順調に発展してきた大夕張だったが、昭和40年代後半は採炭条件も悪化し、昭和48年6月末で大夕張炭鉱は閉山することになる。人口が350人まで減った平成9年7月、町の解散式が行われた。現在、大夕張にあった建物はすべて解体撤去され、一面の更地が広がる。植物の繁茂も著しく、往時の面影をたどることすら困難になった。かつてそこに人々が暮らした町があったことを物語るのは、更地に走る道路と鹿島小学校跡の石碑くらいのものだ。
地形図は、町の移ろいゆくさまも克明に記録する。残された地形図は、大夕張は生まれ、栄え、衰え、消滅するまでの、うそいつわりない姿を見せてくれているのだ。
はあ…切ないねえ…。(´Д⊂ その他「札幌の街路がずれている理由」、「由布院の大カーブはなぜできた」、「豊田市の以前の名称、挙母(ころも)市」、「四日間だけ実在した市」、「マニア垂涎、幻の地図」、「地図に記載されない場所」、「日付変更線が変わった日」、「地図に記載されない場所」、などなど。雑学博士になれちゃうかもよ。(^。^)