「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「誰も「戦後」を覚えていない[昭和30年代篇]」(鴨下信一)

私は昭和39年の東京オリンピックの年の生まれである。新幹線が開通し、首都高が走り、高度経済成長時代のピークだった。

さて、この本は歴史の教科書にしたい。「日本人の本当の姿が見える昭和30年代を、政治、文芸、映画、音楽、テレビ、犯罪、災害など、世相の硬軟をとりまぜて、ユニークな視点からふり返る。大好評シリーズ第三弾」そのエッセンスを紹介しよう。


昭和30年代はどうしてこんなに懐かしいのだろう。どうしてこれほど愛しいのだろう。ぼくは、日本がやっと「小さな幸せ」をつかんだ時代だからだ、と思っている。昭和43年の山本直純「大きいことはいいことだ」このCMが成功したのは、昭和30年代をすごす間に、小さい幸せの享受から「大きい」に変わり、「小さい」を追い抜いたのだ。その分水嶺は、昭和35年、つまり60年安保あたりにあるらしい。まず昭和30年代前半の日本人はとんでもないほどの「小さいもの好き」だった。


・30年代には国民的祝典が二つある。「皇太子ご成婚」(昭和34)と東京オリンピック(昭39)どちらも5年節目の前年になる。


男性の権威の象徴と言えば、戦前戦後は「帽子」だった。オーバーな数字ではなく、ほぼ99%の日本人男性は、外出時に帽子を冠る習慣だった。ところが、昭和30年代初頭を境にして、あっという間に「無帽」になった。どうして急にこんなことになったのか。慎太郎刈り」のせいだそうだ。短く刈り上げて前髪をパラリ、石原慎太郎のこの髪型を我もわれもと真似た若者が、それを見せるには帽子を脱ぐより手はない。


その他、「小さい自動車の時代」「小さいものがやたらと出て来た歌謡曲」「恋人がちゃんと二人そろっている」「小説が教師だった時代」「寝るときも鍵をかけなかった」「洋服ダンスより衣紋掛け。男も帰宅すれば着物に」「音楽は時代の変化そのものだった〜ロカビリーからフォーク・ソングまで」「その時テレビは何をしていたか」「まったく新しくなったお笑いの世界」


昭和30年代、バンザイ!懐かしい!オススメです。(・ω<)