「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「誰も「戦後」を覚えていない[昭和30年代篇]」(鴨下信一)

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 このシリーズ、いいわー!一番身近な「昭和」の時代。「戦後」のことはみんな「覚えていない」んだろうなあ!(笑)歴史の教科書でこのようなことは学ぶべきだよね〜!!!(・∀・)

 

日本人の本当の姿が見える昭和30年代を、政治、文芸、映画、音楽、テレビ、犯罪、災害など、世相の硬軟をとりまぜて、ユニークな視点からふり返る。大好評シリーズ第三弾」そのエッセンスを紹介しよう。
 
昭和30年代はなんでこんなに懐かしいんだろう、そしてこれほど愛しいのだろう。理由を聞かれると、はっきり言えない。やはりもう『戦後』を忘れかけているのだ。ぼくは、それは日本がやっと「小さな幸せ」をつかんだ時代からだ、と思っている。
 
小さい自動車、圧倒的にオート三輪の多かった路上。トランジスタは「小さい日本」の代名詞。普通より小さかった団地サイズ。生活の理想はアメリカだったが。ポケットサイズのハウ・ツー本が大ヒット。小さいものがやたらと出て来た歌謡曲恋人がちゃんと二人そろっている。
 
 
【「清張」も「風太郎」も必要だったー小説が教師だった時代】
 
この時代、自分が生きている社会に関する情報を得ようとすれば、新聞・雑誌そして本といった「活字」に頼らざるを得なかった。普通の平均的日本人は、大部分「小説」から取得していた。そこがまた現在と違う一大特色だ。小説は「情報と娯楽」の両方を与えてくれるものと誰もが思っていた。だから争って読んだあんなに小説を読んだ時代はないだろう。ただそのためには「新しいタイプの小説が必要だった。情報と小説らしい面白さ。41歳という遅いデビューの松本清張は、読者のこのニーズを非常に的確に把握していた。そのために昭和30年代前半、彼は小説家のリーダーにまたたく間になって行った。」
 
 
昭和30年代初頭、ほぼ99%の日本人男性は、外出時に帽子を冠る習慣だった。それがあっという間に「無帽」になった。どうして急にこんなことになったのか川本三郎説によると慎太郎刈り」のせいだそうだ。短く刈り上げて前髪をパラリ、石原慎太郎のこの髪型を我もわれもと真似た若者が、それを見せるには帽子を脱ぐより手はない。ただ、年上の男たちもそろって帽子を廃めたところが「時代」だった。男性は権威の象徴を脱いだのだ。“勃起したペニスで障子を破る”小説で登場した青年作家は、こうして規制の賢威を一つ、打ち崩したのだった。
 
アッという間に水が来たー犯罪と災害の世相史(伊勢湾台風森永ヒ素ミルク中毒事件、水俣水銀中毒事件、狭山事件草加次郎事件、スチュワーデス殺人事件、ホテル日本閣事件)」「巨匠の映画でこの時代の生活をさぐろうー小津、成瀬、黒澤の「鍵」「カーテン」」「こんなにB、C級映画ばかり見ていた−ジャンク映画と言うなかれ」「音楽は時代の変化そのものだったーロカビリーからフォーク・ソングまで」坂本九フォークソングの先駆者」「その時、テレビは何をしていたかー外国テレビ映画とコメディの花盛り(映画の五社協定もテレビの力になった)」
 
この時代、日本人平均年12本、映画を観たっていうくらいだから正に映画全盛の時代だったんだね〜!そしてテレビの時代が到来する……栄枯盛衰。さまざまな価値観が変わっていく時代。躍動感が伝わってくる。オススメです。(・∀・)

 

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