「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本」(J・ウォーリー・ヒギンズ)

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秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 (光文社新書)

秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 (光文社新書)

 

 いや〜この本はいいなあ…懐かしいなあ…私が子どもの頃ズバリじゃないけど今から60年前昭和30年代の東京が、しかもカラー写真で満載!奇跡のような本、タイムスリップっ!!!(・∀・)♫

 
「ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する元祖「カラー撮り鉄」J・ウォーリー・ヒギンズ駐留米軍軍属として来日後、国鉄の顧問に。日本全国をくまなく訪問し、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。

半世紀以上の歳月を経て、今なお色褪せない最上質のコダクロームの6000枚の中から、
選りすぐりの382枚を、当時の思い出話とともに公開する。鉄道写真に写り込んだ、生活感あふれる風景ポートレートの数々には、東京五輪を前に激変する東京の様子や、今では失われてしまった懐かしい地方の町の風景、人々の様子が記録されている」その中で代表的な写真を紹介しよう。
 

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柳沢駅の時刻表青森県上北郡六戸町)1961年1月7日
 
柳沢は米軍基地の三沢駅(当時は古間木駅といった)から十和田観光電鉄で2つ目の駅だった。古間木駅が三沢駅に、三本木駅が十和田市駅に改称された。戦前から走っていたローカル線だが、1970年頃をピークに徐々に観光客が減り、ついに2012年に廃止になってしまった。
 

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集合写真というのは極めて日本的で面白い。アメリカでは日本のように整然と並んで撮る集合写真は珍しい少なくとも、僕自身はそういう集合写真を撮った記憶が一度もない。だから、人々が並んで写真を撮っていると、ついそのそばに行ってシャッターを切りたくなるんだ。明治神宮 1961年1月2日
 

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▲高尾山 1961年7月9日

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栃尾新潟県)1957年2月9日
 
昭和30年代は、まだ馬が日本中で使われていた。工事現場で荷馬車を見かけるのは珍しいことではなかった。徐々にトラックが普及し始めたとはいえ、車への切り替えは比較的ゆっくりだった。わざわざトラックを買わずに、手持ちの馬を使えば安く済む。餌だけあれば働くわけだから、ガソリンもいらない新しい投資はしなくてもいいわけだ。そいういう人が全国いいたのではないだろうか。そして、その馬が働けなくなった後は、おそらくもう一頭新たに馬を買う代わりにトラックを買うということになるわけだ変化はこんなふうにして、少しずつ起こっていくものだ。
 

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上野動物園 1958年6月20日

 

「僕が、この国にどうして惹かれ、あえてここに残ろうと思ったかを、アメリカにいる家族や友人たちに伝えたい」という思いで写真に収めてきた、という。
 
いいなあ。続編出ないかなあ。超オススメです。(・∀・)

 

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秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 (光文社新書)

秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 (光文社新書)