「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「落語 大看板列伝」(落語ファン倶楽部編)

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落語 大看板列伝

落語 大看板列伝

 

小学校、中学校の頃は「落語クラブ」。人を笑わせたり、笑われたりすることが好きで

当時は「ろくろっ首」「疝気の虫」「寿限無などの前座ネタを覚えて演ってたっけ。(笑)

 
さてこの本。「大看板と呼ばれた伝説の名人たち!最高の"芸"を偲ぶ一冊さぁ、見事に揃った五枚の大看板!「桂枝雀/「スビバセンネ」爆笑王」「桂文治/貫いた江戸っ子の美学」「春風亭柳昇/新作落語の雄」「金原亭馬生/志ん生の遺伝子」「柳家小さん/落語界初の人間国宝
」古きを知って新しきを知る!現在活躍する落語家たちが学んだ師匠たち、五人の昭和の名人が登場です。弟子が、ライバルが、家族が語る、大看板たちの素顔。また大看板が残した貴重な原稿を掲載。様々な角度から、五人の魅力を徹底的に追求!」なかでも笑点の司会の春風亭昇太師匠の師匠の春風亭柳昇師匠の落語論を紹介しよう。
 
 
【柳昇落語論 古典落語は不滅】
 
江戸から明治にかけて三遊亭圓朝という偉大な噺家が現れた。今の人はこの圓朝を神様のように称えているが、何を隠そうこの人は新作なのである。それも並外れた新作ではない。世間の人がびっくりするようなことをやったのである。昔の歌舞伎といえば女性たちにとって何にも代えがたい楽しみ。歌舞伎にいかなっくても寄席で歌舞伎の雰囲気を味わえたら良いだろうと、高座のうしろに芝居のように背景を描いた。そして役者のような派手な衣装を着て、役者の声色(声帯模写で芝居噺を演って観せたらこれがやんのの喝采を受けた。当時は通の人に言わせれば邪道もいい所古老からはこてんこてんに言われたに違いない。しかしこのお陰で落語界に「活」が入ったのだ。確固たる礎を築いてくれた大恩人なのである。
 
・かつては落語という言葉は無かったようだ。昔は単に「はなし」と言った。寄席も寄せ場と言い、その軒下に「今晩「おはなし」あり」と看板を出し、お客を呼んで噺を聞かせたのである。明治に入り、もと武士が役人になり、役人たちはよく漢語を使うので落とし噺を「落語」と書き、脇におとしばなし」とルビを付けたものがあった。
 
古典落語という言葉はNHK久保田万太郎が芸能部長をしている時、ラジオで落語を放送するのにただ「落語」では味気ないから「古典落語」にしようと、それで付けたのだとは古今亭今輔の言葉である。
 
古典落語の数はどの位有るのだろうと、昭和48年改訂、東大落語研究会編『落語事典』で数えてみたら2,185種あった。その中には長い噺も、短い噺もある。

 

久しぶりに新宿末廣亭に行くか!って昨日、話していたばかりです。オススメです!(・∀・)♪

 

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落語 大看板列伝

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