「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」などで知られた伊丹十三監督。こんな名エッセイを書いているとは知りませんでしたっ!
この人が「随筆」を「エッセイ」に変えた。本書を読まずしてエッセイを語るなかれ。元祖シティボーイによる超定番スタイルブック。1961年、俳優としてヨーロッパに長期滞在した著者は、語学力と幅広い教養を武器に、当地での見聞を洒脱な文体で綴り始めた。上質のユーモアと、見識という名の背骨を通した文章は、戦後日本に初めて登場した本格的な「エッセイ」だった。そのエッセンスを紹介しよう。
・スペインでは字の読めない人が多いから、 すべての映画はスペイン語に吹き替えられている。しかも、 この国はカトリックが多いから、倫理的にまずいところは、 徹底的に切られ、あるいは、別のセリフに吹き替えられてしまう。 たとえば、結婚していない恋人同士が、 映画の中で一つのベッドに練ることは許されないから、 そんな場合は、「一時間前に結婚したなんて、 ほんとに夢みたいだね」とか「お兄様と一緒に寝るの、 子供の頃から随分久し振りだわ」とか、 葺き替えるセリフで変えてしまうのです。いや、 これは本当の話です。
・劇的なというより、筋書きのはっきりした映画では、 物語りを進めるために、 さまざまなことを顧客に説明する必要が起こってくる。 つまり簡単な例をあげれば。その時、んじであったか、 誰それが殺された、といかいうことである。 これを観客に知らせないと。筋書きが進展しない、 という場合一体どのように説明するか。
「なに、死体になって発見された?」「あっ!あれは、 うちの所長を殺したラドンだ!」一体、 恐怖にわなないている筈の人がこんな説明的なことを叫ぶものだろ うか。どうせ説明するなら、いっそ徹底的に「あっ! あれは約6千年前に地球上から一切絶滅したといわれていたにもか かわらず、どういうわけか最近出現して、 うちの所長を殺したラドンが!」これがホーム・ドラマだったら、 「おや?あそこに渡辺くんが、 毎朝出勤の時に乗って来る自家用車で走って行くぞ!」「あら! 運転している渡辺さんの隣に座っているのは、 先月からお隣の鈴木さんの二階に下宿している花子さんだわ!」 説明的なセリフの愚劣さとは、かくの如きものである。 いいシナリオほど、 それと判らない形で自然な会話やショットの中に、 説明を織り込んでゆくのである。
「ロンドンのタクシー運転手の話」「耳にバナナを詰めていた話( ハリーの話)」「同居人マイクル」「スミス氏の散歩( 象のブックエンドの話)」など。
いいなあ!オモシロイなあ!ヨーロッパに行きたくなっちゃうなあ!オススメです!(・∀・)♪