「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「東京大学応援部物語」(最相葉月)

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東京大学応援部物語

東京大学応援部物語

  • 作者:最相 葉月
  • 発売日: 2003/09/05
  • メディア: 単行本
 

中学の時、応援団に入った。というか入らされた。本当は陸上競技の短距離で出場したかったのに、カラダの大きさから選ばれたのだろうか。(笑)ところがやってみると結構、キビキビしていてメリハリがきいてココロがピシッとするのだ。他校の女の子からは「かっこいいですね…」と遠目で言われたりしたようだ。モテなかったけどね。(笑)

 

さてこの本。応援しても応援しても負け続ける中に応援にどんな意味があるのか!?そのドラマとは!?そのエッセンスを紹介しよう。

 

・「運動会の部活の中でも、応援部ほどやめたいと思う部はないんです。理不尽なことばかりだし、練習も決して効率的とはいえないでも、ぶち切れさせて更なる成長を促すというんでしょうか。おかしいと思うし、おかしいと思わるようにやっている」
 
「このまま負けていいと思っているのか」「なんのためにこれまで練習してきたのか」そう責められるべきは応援部ではなく野球部ではないのか。なぜ応援部の下級生が怒られなければならないのか。0対19で迎えた九回裏。「おーい、東大、絶対にー、逆転だー」逆転だって?いくら応援部といっても、それはないんじゃないの?私には白々しく思えるほどだった。しかし、彼らはやめなかった。客席前方のリーダー板に一礼して立った学ラン姿のリーダーは、バケツの水を頭からかぶり、腕を振り上げた。
 
自分の利害に関係なく、人の力になるために一生懸命やるというのは純粋にかっこいいし、尊いと思う。
 
応援する人間は、応援される人間より強くなければならない。
 
・応援部は各運動部のつながりだけでなく、連盟を通じて大学間の往来が盛んだ。「鉄声会」と呼ばれる応援部のOB・OGの組織があるため、先輩との連絡業務を通じて縦のつながりもできる。経済界や法曹界、学術界や霞ヶ関で活躍する先輩も多い。石橋は、なぜ応援部をやめなかったかといえば、縦横の人脈を失うことがこわかったからだという。
 
応援部式の大時代的な礼儀作法はまったく理解できない。それ以上に、やればやるほどわからなくなってきたのが、応援そのものだった。下級生のうちは、とりあえず先輩にいわれるままやっていればなんとかなる。だが、学年が上がるにつれ、矛盾は大きくなる。野球部が負けたあと、伊藤主将に「おまえらの責任だ」といわれた。なんて理不尽な、負けたのは選手じゃん、と思った。10点以上負けて、絶対返せないとわかっているのに、「逆転できる」と叫んでいるいくら自分たちが応援したって、そんなの選手ががんばらなかったら無理じゃん、とも思った。
 
・応援部に入って、最後の最後まで人付き合いには悩みましたけど、ここまで人と本気で話したり、自分の意見を伝えようと必死になった経験はこれまでなかったですし、このあとの自分の人生にきっと影響を与えていくでしょうね。将来、これほど濃密な人間関係はもうないんじゃないでしょうか。
 
「一、二年のときは、ただ、やらされいる。何も考えないし、考える時間もないんです。三年になって考え出して、四年で悩む」
 
なぜ応援するのか。これほどまでして応援することに何の意味があるのか。それは応援部にいた先輩たちすべてが通り過ぎていった問いなのだろう。そして、引退したOB・OGの人数分の答えがあるのだろう。
 
ここにいるのは何も考えてないやつか、考えても考えることをやめたやつです。
 
人脈を失うとは自分を失うことです。自分を育ててくれた人があって今の自分がある。自分を育ててくれた先輩がいて自分がある。自分を育ててくれた先輩や仲間を裏切ることは、自分を失うことなのです。
 
・0対16で野球部がボロ負けしたときの、応援部幹部の反省の弁、「試合展開を変えるほどの応援ではない」すべてが愛おしく、真摯だ「勝っても負けても、自分たちはいつもと同じ応援をするのだ」

 

……スゴイ……さわやかな炭酸飲料を飲んだあとのような清涼感。超オススメです!(・∀・)

 

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東京大学応援部物語

東京大学応援部物語

  • 作者:最相 葉月
  • 発売日: 2003/09/05
  • メディア: 単行本