今はそれほどでもないけど、若い頃からラジオが好き。朝はテレビじゃなくてラジオを聴いてたなあ!だいだい文化放送かニッポン放送!♪
さてこの本、1957年生まれ。1981年ニッポン放送入社の上柳昌彦さん。ワタシも大好きなアナウンサー!ラジオに生き、定年後もアナウンサーを続けている、うえちゃん初の自伝的エッセイ。そのエッセンスを紹介しよう。
・元・ニッポン放送アナウンサー・上柳昌彦。 よほどのラジオマニアでなければ誰ソレ?という存在。 1957年生まれ。1981年にニッポン放送に入社し、 アナウンサーを勤め上げ。2017年に定年退職を迎えた還暦男。 「やりたい仕事に就けたんだから幸せだよねぇ」 と言われる一方で「勤め上げてしまったよなぁ」 という気持ちがどこかにある。唯一語れることと言えば、社歴が長かったぶん、 様々な経験とその時現場にたまたま遭遇してしまったという過去だ けは多少持っているということだ。
・今こそ逮捕となれば「◯◯容疑者は」 と放送では伝えるが当時のニュースで、容疑者は敬称なしの呼び捨てだった。だから本来なら番組の中で「 北野武は」とか「ビートたけしは」と言うべきなのだが「 それだけは勘弁してください。この番組の中では『たけしさん』 と呼ばせていただきます。すいません!」 と冒頭で断ってから番組を始めたことだけはよく覚えている。 メールもない、ファクシミリもあまり普及していない時代だから、 電話で様々な意見を寄せてもらったが、みんな、 たけしさんを擁護し帰りを待つという内容が圧倒的に多かった。 そして最後には「報道とは何か」「伝えるとはどういうことか」 ということを私自身に突き付けられ、そして考えさせられた… と記憶している。
・新人の頃に、 玉置宏さんからミュージシャンや芸能人にインタビューする場合、 相手のことを徹底的に調べ。 そしてその知識を会話の中にさりげなく入れながら質問すると、 相手は「この人は自分の事を知っていてくれている」 と安心すると教えられた。出身地でも誕生日のことでもよいし、 コンサートやかつてのインタビューに答えたことでもよい。 それが心を開いてくれるきっかけになるという。
・「博物館でも、収蔵品を4Kや8Kの技術を使い、 なかなか見ることができない箇所までカメラを入れて撮影して公開 したとしても、 たとえ長時間並んで人の頭の間からやっと眺められるような状態で もやはり博物館で本物を観たいという人の方が圧倒的に多い」 という。また「永六輔さんの晩年の放送は、 非常に聞き取りにくい状態であったかもしれないが、 それでも多くのリスナーが熱心にその一言一言に耳を傾けていた。 一言も聞き漏らすまいという気持ちで拝聴していた。 見るに値する、 そして聴くに値するそれだけの歴史の積み重ねや価値があるものを 。受け手はちゃんと理解しているからだ」と言った。 つまりはその存在する意義を十分に伝えることができれば、 苦労してでもそれに接しようとする人たちが大勢いたということだ 。
・「だってよおオレはラジオを聴くのも、 番組を作るのもどうしようもなく好きなんだよ。 ラジオってやつに出会っちゃったんだよお。そんだけなんだよ。『 カメラを止めるな!』風に言えばまさに『ラジオを止めるな!』 なんだよお」 というきわめて単純で稚拙な理由で毎日マイクに向かっているのだ が。
・玉置宏さんの教えを守り「初めまして上柳昌彦と申します」 という会話から始まる中で、 いかに相手に気持ちよく話してもらい、また別れ際に「 今日は楽しかった。また呼んでください」 と言ってもらえるよう工夫をしながらインタビューしてきた。 毎回それなりに資料を読み込み、 どのような順番で話を聞くか作戦を練り。 また当日にそれをいかに勇気を持って捨てることができるかを試さ れ続けてきた。「聞く力は偉大なり」(野村克也)の名言を、 この仕事のためにある言葉として書き留めておきたい。
「足かけ2日大進撃」「塚越孝(つかちゃん)」「 日立ミュージックインハイフォニック」「 てりーとうえちゃんのってけラジオ」「祝! ジャイアンツ日本一提灯パレード」「10時のちょっといい話〜 車いすのパティシエ」などなど。
やっぱりラジオはいいなあ…!懐かしい名前や番組やエピソードが満載。ラジオファン必読っ!オススメです!(・∀・)