もうすぐ平成も終わろうとしている。昭和生まれのワタシは、今こそ!昭和を振り返りたいと思う。
昭和とともに歌謡曲は消えた。「昭和の出来事とともに振り返る懐かしの昭和歌謡!!昭和元年から64年まで毎年1曲をピックアップし唄の背景やエピソードを紹介。歌手1000人、流行歌1000曲を収録」そのエッセンスを紹介しよう。
「赤蜻蛉」(歌唱 金子一雄)作詞 三木露風 作曲 山田耕筰 昭和2(1927)年
1 夕焼、小焼の 赤蜻蛉
負はれて見たのは いつの日か
2 山の畑の 桑の実を
小籠に 摘んだは まぼろしか
3 十五で 姐やは 嫁に行き
お里の たよりも 絶えはてた
4 夕焼、小焼の 赤とんぼ
とまってゐるよ 竿の先
生母への思慕を詠った悲歌(エレジー)で、1節は、妾宅(しょうたく)にいて今日も家に帰らない夫を待ちながら、露風を背にとぼとぼ家路をたどる母。そのときに播州平野の夕焼け空の下で背負われて見た赤蜻蛉への回想。
2節は、竜野の鶏龍山の麓に母と籠を提げて桑の実を積みに行ったが、母が亡くなった今になってみれば、夢か幻のようだった。
3節は、姉妹がいなかった露風にとって、北方の宍粟郡山地からきた姐やは、露風を可愛がり心温かい存在であった。その姐やも15歳でお嫁に行き今では便りもなくなった。
4節は、露風が高等科2年のときに詠んだ俳句をそのまま持ってきており、幼年期の淋しく悲しい気持ちの追悼詩である。この詩は露風33歳のときのもので、雑誌『樫の木』の大正10年8月号に掲載された。
「人生いろいろ」(昭和62年 島倉千代子)
泣き節、叙情派演歌が看板の島倉千代子が、はじめてこの歌詞を読んだときの感想「詞の中に、受入れたくない悩みを忘れるためにお酒を飲んで飲み明かすというような個所がありました。でも私はお酒を飲まないし、ちょっと受入れがたいと申し上げたら「お千代さんならどうする」とおっしゃったので「髪を短くしたり、強く小指をかんだりする」と返事をしたら、それがそのまま私向きに歌詞を書き直されました。
その他、「洒落男(ゲイ・キャバレロ)」(昭和4年 二村定一)「すみれの花咲く頃」(昭和5年 宝塚少女歌劇団)「月月火水木金金(艦隊勤務)」(昭和15年 内田栄一)「かえり船」(昭和21年 田端義夫)「憧れのハワイ航路」(昭和23年 岡晴夫)「雪の降る町を」(昭和28年 高英男)「月光仮面は誰でしょう」(昭和34年 月光仮面は誰でしょう)「帰ってきたヨッパライ」(昭和43年 ザ・フォーク・クルセダーズ)など。
へー!「赤とんぼ」って昭和の曲だったのー!?(@_@!!!オススメです!♪