「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「闇を裂く道」(吉村昭)

 


闇を裂く道 (文春文庫)


久しぶりに読みました、吉村昭。小学校の教科書にも載っていた丹那トンネルの話。


ワタシの実家の最寄りの駅は御殿場線上大井駅、もちろん(?)無人駅。今となってはこの御殿場線が、東海道本線だったとは想像できない。しかも山北駅が鉄道の町で1000人もの人がいたなんて、「兵どもが夢の跡」だよね。


「大正七年着工、予想外の障害に阻まれて完成まで十六年を要し、世紀の難工事といわれた丹那トンネル。人間と土の熱く長い闘いを描く。熱海―三島間を短時間で結ぶ画期的な新路線・丹那トンネル大正7年に着工されたが、完成までに16年もの歳月を要した。けわしい断層地帯を横切るために、土塊の崩落、凄まじい湧水に阻まれ、多くの人命を失うという当初の予想をはるかに上回る難工事になった。人間の土や水との熱く長い闘いを描いた力作長篇」そのエッセンスを紹介しよう。


山北駅は規模の大きい駅だった。上り列車の後に連結されていた補助機関車は、この駅で切り離され、また、東京から国府津を経て御殿場にむかう下り列車も、この駅からはじまる急勾配にそなえて、後部に補助機関車が連結される。この作業のために、すべての列車は山北駅にとまるのである。駅には、大きな機関区がもうけられ駅員、保線区員をふくめて千人近い鉄道員が配置され、山北町鉄道の町としてにぎわいを見せていた。


箱根超えの路線が、東海道線最大の難所と言われていることを実感した。夏の車内は暑いので窓は開け放しにしてあり、二台の機関車の煙突から吐かれる煙が、容赦なく流れこんでいた。列車が急勾配にかかると、速度がおそくなるので車内に流れ込む煙の量も多く、耐え難いものになった。御殿場駅をすぎ、連続する7つのトンネルにさしかかると苦しみは最高潮に達した。煙で咽喉が痛くなり、眼から涙がにじみ出た。山北駅についた頃には、汗に流れる顔や首筋に煤(すす)がはりつき、目のふちも鼻孔も黒くなっていた。

沼津から国府津まで二時間半。熱海線が開通すれば、各駅停車でも一時間で通過できる。乗客たちは、このような苦しみから解放される。熱海線の開通が時代の大きな要請だった。


「おれたちの水をどうしてくれる。水を返せ」「田は荒地になった。米は一粒もとれなくなった」「飲み水にも事欠いているのだ。おれたちに死ねというのか」「ワサビ田は石のこ転がるだけの地になった。ワサビ田を返せ」怒声が浴びせかけれら、池原たちは、身をかたくした。鎌や鍬を手にした男たちが近づいてくる。子を背負った女は、涙を流しながら拳をふっていた。


「大崩壊事故の最大の原因は複線型にしたこと」「二度の崩落事故と飢餓地獄」「関東大震災と踏んだり蹴ったり……。やっぱり自然の驚異というひとことでは言い表せられない……。
あの「高熱隧道」に並ぶ力作長篇!併せて読みましょう。超オススメです。(・∀・)


「高熱隧道」(吉村昭
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070507


   


高熱隧道 (新潮文庫)