プロ野球ファンを自認しているワタシも、この名前は知らなかった……恥ずかしい……。こんなにスゴい人を知らなかったとは……。(@_@)!
「石本秀一(1897-1982)は、広島カープの初代監督として知られる。その生涯は、広島カープの礎を築いただけではなく、まさに、日本野球の礎を築き、その歴史を生き抜いた人生だったと言えよう。本書は、関係者に綿密な取材をくりかえし、「野球の鬼」ともいわれた石本の人生と、日本野球の歴史を浮き彫りにする力作ノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。
・石本秀一は広島商業で野球の基礎を身につけ、 母校広島商業の監督に就任し、「野球の鬼」とも呼ばれ、 三年連続日本一、4回の全国制覇を果たした。 昭和初期に職業野球がスタートしたときには、 大阪タイガースの監督として黄金時代を築く。戦後は、 原爆により廃墟と化した町、広島に「カープ球団」を誕生させる。 広島カープ初代監督である。 カープはいきなり経営難に直面するが、監督でありながら、 存在の危機を「後援会発足」という妙案で乗り越え、「たる募金」 という県民市民から寄せられる浄財をもとに経営を多々直すという 離れ業をやってのける。球界には多くの人脈があり、 西鉄ライオンズや中日ドラゴンズのコーチも経験した。 傍らではプロ野球解説者として、 また新聞記者として野球を論じた。昭和47年野球殿堂入り。 強い信念と執念の持ち主で、試合中ここぞという場面では、 この上ない集中力で、勝利をたぐりよせた。 勝機をもたらす瞬間をからだの全てで感じ取ることができた人間な のであろう。この本では野球を仕事としてではなく、 人生の全てとして情熱をふりそそぎ、 まっすぐに歩んだ85年間の生涯を振り返りたい。
・広島から東京までの遠征となると、 カープの選手は他球団とは違った。呉線経由の急行「安芸」 に乗ったが、初期の頃(昭和25年)は、 東京までの移動には20時間かかり、三等列車とあって、 椅子や床にザコ寝状態ー。寒いときには新聞紙にくるまって、 バットなどの用具と一緒にごろ寝する。さらに、 網棚にまで横たわる始末である。 さらに旅館に泊まるのはもったいないとばかり、 連盟から支給される宿泊代をもっと浮かせるために、 関西への遠征とあらば、鳴尾の石本監督の自宅と、 辻井主将の家に分かれて宿泊させ節約する。 こうして費用を何とか浮かし続けて、食いつなぐ日々だったのだ。 カープのもっぱらの敵は、相手チームではなく、 貧しさとの戦いであった。空腹と寝床を探すという、 試合にたどりつく前の戦いに、 精も根も尽き果ててしまう日々があった。
・ある日のこと、事務所の糊がなくなったのに気がついた渡部は、 購入したいと石本に願い出た。「監督、 事務所の糊がなくなったので、買うてもいいでしょうか?」「 ばかたれ、郵便局に行って、カープですが、 糊がなくなったのですが、っていうてみい」そう石本に言われて、 渡部は郵便局に出向いた。「ああ、そうですか……じゃあ、 カープさん、これを持っていってください」と、 新品の糊を一つのみならず、二つも三つもくれたという。
・カープ野球とはー。広商野球とはー。取材活動に励むなか、 石本のあくなき想像力や、 探究心に驚かされるばかりの日々であった。 取材のたびに石本が生み出した野球技術や、 その技術を生み出すことにつながった独自の観察眼、加えて、 選手管理能力。大衆を束ねる経営手腕にも似た組織管理能力。
・広島商業時代の甲子園の通算成績、17勝2敗。勝率、. 895。プロ野球監督の中での最速で200勝(272試合目)勝率、. 749。水原茂が308試合目、三原脩が350試合目、 鶴岡一人が351試合目、川上哲治が360試合目。
・第一回全国中等学校優勝野球大会への出場に始まり、 広島カープのみならず、 現在に至るまでの日本野球に多大な影響を与えたその生涯は、 まさに「日本野球をつくった男」というに値しよう。 プロ野球を始め、中等学校野球(のちの高校野球)など、 球界全体に及ぼした影響は計り知れないものであった。 なかでも一番の功績は、 やはり郷土広島にプロ野球チームを誕生させたことだ。 金はないー。選手はいないー。その中で全国を奔走し、 寄せ集め集団と揶揄されながらも、 選手をそろえてカープ結成にこぎつけた。 復興へ向かう県民市民に希望の光をもたらしたのだ。 この復興に向かって歩み続ける広島カープの存在こそが、 平和の象徴であり、ヒロシマが世界へむけた、 復興へのモデル都市であることを、 証明してみせたとも感じている。
・この復興へ向けた輝かしい歩み傍らで、 石本は自分の身の上をいっさい語らなかった。石本は、 原爆による後遺症で、父、母を亡くしている。 弟は行方不明のまま、 焼け跡から子供二人を抱いて死んでいた妹ツヤをみつけたときのつ らさは、想像を絶するものであったでああろう。しかしながら、 石本は自分の身にふりかかった不幸や無念を口にすることはなかっ た。
「戦争と中等野球」「毎日400球の猛練習」「 広島商業の黄金時代を築く」「大阪タイガースの監督に就任」「 戦争に向かう日本ー国民リーグ誕生」「故郷広島にカープ誕生」「 カープ解散、大洋と合併か」「カープつぶしに屈することなく」「 カープを追いやられる」「 三原脩からの招聘ー球界初のピッチングコーチ」「 稲尾和久との出会い」「 投手から打者へ転向させた名選手ー水谷実雄、藤村富美男」「 中日のヘッドコーチにー野球技術者として」「ふたたびカープに」など。
この映像は泣ける……歴史を知ることって大切だよね。年末に良い本に出会いました。野球ファン必読!超オススメです。(・∀・)