「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「まるまる山手線めぐり 意外な歴史とオモシロ知識」


まるまる山手線めぐり (DJ鉄ぶらブックス)


鉄道オタクではないけど、鉄道モノの本や雑学が大好き!(それが鉄道オタクなのか…)(・o・)

さて、何度か取り上げている山手線の本。毎日お世話になってますー!中でもこの二つのことは知らなかったな〜!そのエッセンスを紹介しましょう。



【一日たった3往復から始まった 開業当初(明治18年)の運転本数】


現在ピーク時には内回りと外回りをあわせて1時間あたり49本もの営業旅客車両が走る山手線だが、その建設目的は貨物輸送を主眼に置いたものだった。北関東方面で算出された生糸などの産物を、神田などの人口密集地を避けて東京の西口に線路を増設し、官設の東海道本線を通して横浜港方面に運ぶことにあった。

旅客列車も併せて運転されはしたが、開業時は一日3往復のみだったというから、現代のローカル線にも及ばぬような運転本数ということになる。

新橋発赤羽行きが新橋発10:15、14:40、18:35、赤羽発新橋行きが赤羽発11:43、16:08、20:04となっており、所要時間は75分だった。

蒸気機関車の牽引によるもので、明治22(1889)年には4往復に、同29年(1896)年には11往復に増便された。


【幻のなかの幻の駅 呉服橋仮駅】


東京駅から神田寄りへ約300mの場所に、たった4年間だけ存在した駅があった。駅の名前は「呉服橋」。駅の近くにあった外濠に架かる呉服橋に由来し、東京駅が開業するまでの間、仮の始終着駅として明治43(1910)年9月15日に開業。東京駅の開業に伴って大正3(1914)年12月20日に廃止された。


私達の便利な生活は、先人たちの歴史の上に成り立っているんだねえ。感謝です。オススメです。(・∀・)



まるまる山手線めぐり (DJ鉄ぶらブックス)