「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本初の私鉄「日本鉄道」の野望 東北線誕生物語」(中村建治)

私の記憶では、日本初の私鉄は、川崎大師へ参拝客を運んだ京浜急行の前身、大師電気鉄道だと思っていたんだけど、マチガイ。「日本鉄道」だって知ってた!?

日本全国に鉄道を敷くという大いなる野望を持ったこの会社は、わずか25年で国に買収されて消えてしまった。現在の東北線や山手線の原型はこの日本鉄道が作ったのだ。その面白すぎるストーリーを紹介しよう。


東北新幹線は2010年12月4日、新青森駅に乗り入れて全線開業した。一方、在来線の東北線は1891(明治24)年9月1日に上野〜青森間が全通してから2011(平成23)年で120周年を迎えた。蒸気機関による開業当時の所要時間は、26時間半。それが新幹線ではたったの3時間強で走り抜けている。


・740キロにも及ぶ東北線を建設したのが、我が国で最初の私鉄となった「日本鉄道」であった。東北から九州まで「全国を自社の鉄道で埋め尽くす」という野望を抱いてスタートする。だから「日本鉄道」という壮大な社名を付けたわけだ。主役は、ときの右大臣の岩倉具視華族・士族の資産を運用するためにこの会社を設立した。だが長大路線を開業するまでには、岩倉をはじめとする明治の鉄道人の、不撓不屈の興味深いドラマが展開される。


・会社設立から10年弱をかけて、ようやく全通させた鉄道。「鉄道は官設官営」の原則の中で、多くの人々が資金を出し合って経営するという、前例のない私鉄だった


「高島易断」を創設した高島嘉右衛門の訴え

「岩倉公もご承知でしょうか、東京〜青森間に鉄道を建設することを政府(工部省)にお願いをしました。私には、東北地方への鉄道建設がいまこそ必要だという信念があります。青森〜鹿児島間は567里(約2220キロ)あり、歩けば、60日もかかります。しかし鉄道を建設すれば、3日半ほどで着いてしまいます。つまり日本の南北が。60日の567里から3日半の35里に縮まることになります。

しかし政府からは、財政が火の車という理由で却下されました。政府に鉄道を建設する資金がないことは、重々承知しています。そこで、建設資金を捻出する私案も持参しました。私のような民間人が、鉄道を建設するには限界があります。ぜひとも、岩倉公のお力をお貸し頂きたいのです」


・東北地方は当時も、農業・林業・畜産業・漁業などの産業が盛んであった。これら特産物の輸送は、主に海や川を利用しての水運で行われていた。しかし、水運は安全度が低く日数もかかるため、新たな輸送手段が求められていた。そこで高島が、東京〜青森間の鉄道構想を申し立てるのである。


岩倉具視「自分たちは、多くの苦難を乗り越えて明治維新を実現し、今日に至っている。しかし、東京〜青森間の鉄道を創業することは『第二の維新』だ。明治維新の功業を成し遂げた我々は、第二の勤王家にすぎない。君たちこそ『日本一の勤王家』だ。」


「この社名しか浮かばない。他の社名はありえない。会社名は『日本鉄道』です。繰り返して言います『にっぽんてつどう』です」まさに岩倉の意気込みが伝わってくるような、全国制覇を目指した野望に燃えた社名である。こいうして岩倉の力強いリーダーシップによって鉄道建設への第一歩を踏み出すのだった。


その他、「東京起点は逆転で「上野」に、攻防を経て「山手線」を開業」「日本の鉄道は酒とバクチの勢いで作られた?」「帝国ホテルで3日間にわたり全通祝賀会を催す」「山手・磐城・日光線も建設、国有化され25年の経営に幕」など。


私達の日常は、このような先人たちの大いなる夢と労力に支えられているんだねえ…。ありがたいねえ。オススメです。(・∀・)!