いや〜懐かしいなあ!そういえば、「カッパ・ブックス」ってなくなっちゃたんだよねえ……「頭の体操」「冠婚葬祭入門」「悪魔の飽食」「日本沈没」…読んだなあ、夢中になったなあ!(・∀・)
1954年のカッパ・ブックスの創刊から、2005年の終刊までの軌跡を、光文社の歴史をひも解きながら明らかにする。そのエッセンスを紹介しよう。
・1938年、日本で初めて出版された新書、「岩波新書」が画期的だったのは、古典が中心の岩波文庫に対し、「現代人の現代的教養を目的」としていたことである。それから16年後の1954年、光文社の神吉晴夫を中心にまったく新しいコンセプトをもった新書として「カッパ・ブックス」が誕生した。徹底したアンチ教養主義を掲げ、「岩波新書」にとっつきにくさを感じていた、いわゆるインテリとは違う、新たな読者層を掘り起こし、圧倒的支持を得て第一次新書ブームを巻き起こす。「岩波方式ではなく、無名の著者で、どのような本が売れるのか」というのは編集者たちが常に強く意識していたテーマであった。
・ちょうど半世紀続いた、最後の「カッパ・ブックス」の編集部員として、「カッパ・ブックス」とは何だったのか、どのようにして生まれ、どのように成功し、どのような消えざるをえなかったのかと検証しようと考えた。滅びゆくものこそ、見るに値するとするならば、そこにはどんなドラマがあったのか。そしてそこから何が生まれるのか。半世紀にわたるカッパの歩みは戦後出版文化の歩みそのものであった。
・カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。
カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。
裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実をもとめてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。
この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Booksは、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせるーーそういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。
・ベストセラー作法10ヵ条
1、読者層の核心を二十歳前後に置く。
2、読者の心理や感情のどういう面を刺激するか。
3、テーマが時宜(じぎ)を得ているということ。
4、作品とテーマが、はっきりしていること。
5、作品が新鮮であること。テーマはもちろん、文体、造本にいたるまで、「この世でははじめてお目にかかった」という新鮮な驚きや感動を読書に与えるものでなくてはならない。
6、文章が、“読者の言葉”であること。
7、芸術よりもモラルが大切であること。
8、読者は正義を好むということ。
9、著者は、読者より一段高い人間ではないこと。
10、ベストセラーの出版に当たっては、編集者はあくまでプロデューサー(企画製作者)の立場に立たなければいけない。“先生”の原稿を押し頂いてくるだけではダメである。
・「英語に強くなる本」(1961年)147万部
「頭の体操 第一集」(1967年)265万部
「頭の体操 第二集」(1967年)176万部
「姓名判断」(1967年)125万部
「頭の体操 第三集」(1967年)123万部
「頭の体操 第四集」(1967年)105万部
「点と線」(1958年)104万部
「ゼロの焦点」(1959年)107万部
「砂の器」(1961年)144万部
「民法入門」(1967年)119万部
「冠婚葬祭入門」(1970年)308万部
「続冠婚葬祭入門」(1970年)153万部
「日本沈没(上)」(1973年)204万部
「日本沈没(下)」(1973年)180万部
「にんにく健康法」(1973年) 111万部
「悪魔の飽食」(1981年)188万部
「NOと言える日本」(1989年)123万部
以上がカッパのミリオンセラーである。
もう一度、多湖輝先生の「頭の体操」を読みたくなりました。だって!名前が「輝」だから!オススメです。(・∀・)