「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「山手線 駅と町の歴史探訪」(小林祐一)

    


山手線 駅と町の歴史探訪 (交通新聞社新書)


毎日お世話になっている山手線。最初から環状ではなかったんだよねえ!(・∀・)


1925年に環状運転を開始した山手線。以来90年、世界でも類を見ない都市交通の成功例となった。その山手線も海あり、山あり、谷ありの起伏にとんだ地形に築かれた鉄道網。その成り立ちは東京発展の歴史とも重なる。そうした地形や歴史を訪ねながら、山手線29駅を歩き、列車に乗り、駅周辺を散策し、探検する一冊」そのエッセンスを紹介しよう。


【東京駅】


終着駅でありながら通過型の建物になっている。


田町駅


周辺には田町という地名は存在しない。近くの御田八幡神社(この神社が三田の地名の由来となった)の門前町なので御田町と呼ばれ、それが田町となった、という説が有力。


【品川駅】


品川県は明示2年に定められ、わずか2年で消滅、品川駅の開業までに品川県はなくなってしまった。鉄道を計画した当時は品川県だった。駅名の由来は品川宿ではなく、品川県の表玄関となる駅」だった


新大久保駅


甲武鉄道大久保駅から300メートルしか離れておらず、同じ地域であるため別の地名に由来して駅名を決めることが難しかった。そこで「新」をつけた。既存の駅に「新」をつけて新しい駅名にした最初の例といわれいてる。


高田馬場


「高田(たかた)にある馬場」の意味で読みも「たかたのばば」であって「たかだのばば」とは異なる。しかも開業当時はすでにこの馬場は存在せず、馬場跡でしかない。さらに馬場跡はすぐ近くでもなく駅から1キロメートルほど離れている。ここは豊島郡戸塚村、地名は「高田」「落合」「諏訪町」などだったが、「戸塚」は東海道線に「高田」は信越本線すでにある。そこで講談で知られた忠臣蔵堀部安兵衛の仇討ち物語の舞台「高田馬場」が駅名に選ばれたらしい。明治の末という影響もあったのかもしれない。


その他、「開業当初一日3往復だった」「秋葉原貨物駅は日本鉄道の屋台骨」「なぜ最初の新橋停車場は山手線の駅にならなかったのか」「浜松町駅東海道線に在籍しながら東海道線の列車が停車しない!?」「東北本線の駅なのに東北本線のホームがない日暮里駅」…など。


身近だからこそオモシロイ!オススメです!(・∀・)


    


山手線 駅と町の歴史探訪 (交通新聞社新書)