「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ぼくは猟師になった」(千松信也)

  


ぼくは猟師になった (新潮文庫)


いや〜この本はスゴイなあ。こんな世界があるんだなあ!と目からウロコ!(・o・)!猟師に憧れワナ猟師になった青年のドキュメントなのだ!「木についた傷や足跡からシカやイノシシの気配を探る。網をしかけ、カモやスズメをとる。手製のワナをつくる。かかった獲物にとどめをさし、自らさばき、余すところなく食べ尽くす――。33歳ワナ猟師の日常は、生命への驚きと生きることの発見に満ちている。猟の仕方、獲物のさばき方から、日々自然と向 き合う中で考えたことまで。京都の山から生を見つめた若者猟師の等身大の記録」そのエッセンスを紹介しよう。



狩猟というと「特殊な人がする残酷な趣味」とった偏見を持っている人が多いです。昔話でも主人公の動物をワナで獲る猟師はしばしば悪者として描かれます。僕を含め多くの猟師が実践している狩猟は「自分で食べる肉は自分で責任を持って調達する」という生活の一部のごく自然な営みなのです。現代の日本において猟師は多くの人々にとって遠い存在であり、イメージばかりが先行しているようです。


・そこで本書では、具体的な動物の捕獲法だけではなく、僕がどういうきっかけで狩猟をしたいと思い、実際に猟師になるに至ったのかも詳しく書いています。また、獲物を獲ったり、その生命を奪った時、そして解体して食べた時の状況をなるべく具体的に書き、その料理のレシピなども紹介しました。少しでも現代の生身の考えや普段の生活の一端を感じていただけたらありがたいです。


動物を自分たちに都合の良い形質に無理やり改良して、それを狭い畜舎で飼育し、大猟に殺していくことのほうがどれだけ野蛮なことなのか。こういう思いはいまでも強く持っています。ただ、動物愛護運動というのも、結局は動物を差別し都合よく利用しようとする人間の自分勝手な主張だと考えるようになっていきました。


・僕は中学時代から、伝統的な狩猟採集漁労文化に憧れのようなものを抱くようにもなっていました。自然に介入し、破壊していく都市文明的なものに対して、猟師はあくまでも自然と調和した上で、その一部として暮らしているというイメージを持っていたのだと思います。


・狩猟には興味がありましたが、文明の利器である鉄砲を使うのには漠然とした抵抗感がありました。なんとなくずるい、と。それに比べてワナ猟は動物との原始的なレベルでの駆け引きという印象で、魅力を感じていました。また山奥や無人島での暮らしに未だに憧れを抱いていました。


・狩猟免許は道具によって分かれており、網・ワナの甲種、散弾銃・ライフル銃の乙種、空気銃の丙種と3つあり僕は甲種の免許を取りました。ちなみに、免許があるというのと狩猟の技術があるというのはまったく別問題で、免許を取っても、そのあと正しい技術を持っている人に教わらないと獲物を獲れるようにはなりません。


動物の肉を食べるということは、かなりの労力を費やす一大事です。誰かが育てその生命を奪い、解体して肉にしているのです。狩猟は残酷だという人がよくいますが、その動物に思いをはせず、お金だけを払い買って食べることも、僕からしたら残酷だと思います


・地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。


狩猟は、僕にとって生涯続けていくのに十分すぎる魅力を持っています。読んでくださった皆さんに、僕が感じているそんな狩猟の醍醐味を少しでも感じていただけたら、うれしいです。


「初めての獲物ーシカとの格闘」「街の中の無人島へ引っ越す」「猟期の日々」など。

「すみません、今、イノシシさばいていますんで、少し遅刻します」ってのはサイコーだねえ。オススメです。(・∀・)



ぼくは猟師になった (新潮文庫)