「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密」(今尾恵介)


消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密 (講談社+α文庫)


私は大学の4年間、小田急線の栢山(かやま)から川崎市多摩区田まで通っていた。その頃は、今の東海大学前」駅は「大根(おおね)」、「秦野」駅は、「大秦野」と言った。その理由は分からなかったんだけど、長年、慣れ親しんだ駅名が変わるってとっても違和感あるよねー。(・o・)実は、このように消えてしまった駅名は少なくないのだ。


さあ、この本は、鉄道界のカリスマが読み解く、駅名の改称に秘められた歴史と社会の縮図!

●明大前(旧・火薬庫前)……元は陸軍の火薬庫
北新横浜(旧・新横浜北)……新横浜との勘違い続出
●汐入(旧・横須賀軍港)……防諜のため駅名変更
●河内永和(旧・人ノ道)……宗教弾圧のため即改称
松山市(旧・外側)……国鉄に名前を奪われる など。

駅名の変更には社会情勢が反映され、世の価値観が滲 みでている。鉄道同士の競争、市町村の思惑、地名に関する住民の意識、掘り下げれば掘り下げるほど面白い、駅と鉄道に秘められた不思議。そのエッセンスを紹介しよう。



富士急行に「富士山駅」(富士吉田駅より改称)た登場するというニュースには仰天させられた。そのものズバリの駅名にすることによって、富士山への観光客をバスから電車へ少しでも奪還しよう、という戦略なのだろう。それにしても地元・富士吉田市民はそれでいいのだろうか。駅は鉄道会社の持ち物でもあるが、公共施設の代表格でもある。「街の顔」であることを考えると、どうも釈然としない。


・昨今の駅名の変遷を眺めていて感じるのは、駅名の「商標化」である。駅名の大半は従来の地名を採用したもので、その多くは明治以前からの歴史あるものが多い。客が集まりそうな駅名、儲かる駅名が良い駅名ということになり、駅名本来の役割を逸脱して歯止めが利かなくなる。列車が駅に停まると、歴史を背負った個性あるどっしりとした駅名が待っている……そんな列車の旅を味わえるように、歴史ある駅名を大切にしてもらいたいと思う。


・改称に至る事情は実に多種多様だ。大正時代には、鉄道網が全国規模になって遠方の同名駅と区別する必要が生じたため、「武蔵」「羽後」など旧国名を冠する改称が相次いでいる。1940(昭和15)年前後には、全国で「防諜型」の改称が相次いでいる。たとえば、横須賀軍港駅横須賀汐留駅にという具合に、軍施設を名乗る多くの役がことごとく地元の地名に改称されたのである。戦後の高度成長期あたりは、積極的な意図を持った改称だ。著名観光地の名をつけて「玄関口」をアピールしたり「温泉」や「高原」を付けるものである。その一方で「墓地前」のような駅名を地元住民などが忌避して改称に至ったケース、戦時中はゼイタクは敵だとばかり、遊園地や温泉など遊楽施設名が消されるケースも相次いだ。


たかが駅名の変更ではあるが、そこには社会的情勢が反映され、世の価値観がにじみ出ている。鉄道同士の競争もあれば、市町村の思惑、地名に冠する住民の意識などなど、掘り下げれば興味深いテーマが豊富に湧いてくるのだ。そんな面白さの一端を本書で味わっていただければ著者として嬉しい限りである。


「平(現:いわき)」「助川(現:日立)」(常磐線)「長野原(現:長野原草津口)」(吾妻線)「杉戸(現:東武動物公園)」「武州大沢(現:北越谷)」「粕壁(現:春日部)」(東武伊勢崎線)「川口町(現:川口)」(東北本線)「川越西町(現:川越)」「新倉(現:和光市)」「膝折(現:朝霞)」(東武東上線)「入間川(現:狭山市)」(西武新宿線)「村山貯水池際(現:西武球場前)」(西武狭山線)「村山貯水池(現:西武遊園地)」(西武多摩湖線)「帝大工学部前(現:みどり台)」(京成千葉線)「玉ノ井(現:東向島)」(東武伊勢崎線)「本所(現:錦糸町)」「両国橋(現:両国)」(総武本線)「江戸橋(現:日本橋)」(都営浅草線)「西銀座(現:銀座)」(丸ノ内線)「神宮前(現:表参道)」(銀座線)「志村(現:高島平)」(都営三田線)「柏木(現:東中野)」(中央本線)「小田急本社前(現:南新宿)」「京王車庫前(現:桜上水)」(京王線)「火薬庫前(現:明大前)」「青山師範(現:学芸大学)」「九品仏(現:自由が丘)」(東横線)「蛇窪(現:戸越公園)」「学校裏(現:平和島)」(京急本線)「金子(現:つつじヶ丘)」「関戸(現:聖蹟桜ヶ丘)」(京王線)「多磨墓地前(現:多磨)」(西武多摩川線)「浅川(現:高尾)」(中央本線)「新原町田(現:町田)」(小田急線)「味の素前(現:鈴木町)」(京急大師線)「工業都市(現:武蔵小杉)」「綱島温泉(現:綱島)」(東横線)「日本ヒューム管前(現:津田山)」(南武線)「新横浜北(北新横浜)」(横浜市営地下鉄)「谷津坂(現:能見台)」(京急本線)「京浜逗子(現:新逗子)」(京急逗子線)「横須賀軍港(現:汐入)」(京急本線)「北程ケ谷(現:星川)」(相鉄)「稲田登戸(現:向ヶ丘遊園)」「西生田(現:読売ランド前)」「通信学校(現:相模大野)」「大根(現:東海大学前)」(小田急線)「陸士前(現:相武台下)」(相模線)「中央林間都市(現:中央林間)」(小田急江ノ島線など。


特に、「川越」駅と「川越市」駅の違い。またなぜ「狭山」駅じゃなくて「狭山市」駅?「和光」じゃなくて「和光市」なのはナゼ?という疑問が解けたのがこのエピソード。


「新倉(現:和光市)」

所在地・新倉村の名が採られている。この地域の旧郡名・新座(にいざ)郡も古くは「ニイクラと読み、新倉村のはその群の中心部であったとされる。新倉村は戦時中の1943(昭和18)年に南隣の白子村と合併、大和町(やまとまち)となった。駅名も町名に合わせる形で戦後の1951(昭和26)年に大和町に改称、さらに市制施行時には、神奈川県大和市と同名を避けて大和の和の字と「光」を合わせた和光市となった。駅名変更は市制施行の二ヶ月後である。


はあ〜〜深い、オモシロイ、オモシロすぎる〜!どのページから読んでも楽しめる。超オススメです。(・∀・)



消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密 (講談社+α文庫)