「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人生、成り行きー談志一代記ー」(立川談志・聞き手 吉川潮)



人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)


立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を 得、時代の寵児となる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を創設する──。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。そのエッセンスを紹介しよう。



・(中学時代は)モテなかったネ。今は冗談かなんかを言うと「面白いワネ」とモテるでしょう。当時は「ふざけてる」というので、冗談を言うヤツ。面白いことを言おうとするヤツはモテませんでした。むしろ蔑まれました。また自分でそいう思い込んでいましたから、みんなの前で落語を一席語るなんてことは考えもしなかった。むしろ落語というマイナーな芸に入れ込んでいることを、どこかで恥ずかしく思っていたのかもしれません。


・十六歳で憧れの落語の世界に、心酔していた寄席の世界にとうとう入った。入った途端に「しまった!」と思ったね。何だ、こんな世界だったかって。「裏ばかり」みたいな世界に入ったわけです。「八時に来いと言ったら、なぜ七時半に来ないんだ」と言うんだからね。何か言おうとすると、「言い訳をするより、まず謝れ」。


・二つ目(小よし)のとき、三平さんがよく手伝ってくれましたナ。「ああ、いい人、優しい人だな」と思ったのを覚えています。クソ真面目な人でした。落語はメチャクチャだったけどね。ひどいもんです。「みんな集まってくれ、八つぁんに熊さん、トラさんにライオンさん」みたいなね。なんだよ、こりゃ、と思ってた。


・あたしが「笑点」の初代司会者と思っている向きが多いですが、正確には違います。最初はプロデューサー的な役割で黒子に徹しようと思ってたんです。で、大喜利の司会を円楽に頼んだ小円遊はキザ、歌さん(桂歌丸)は常識的に、とか。それでスタートしたら何より司会の円楽が下手で下手で番組が保たない、となったんです。あたしは「あれもこれからの落語界で大事な人材なんだから下ろさないでくれ」と頼んだ。じゃあ円楽も大喜利のメンバーにして、談志が司会をやれとなった。だから、あたしは二代目の司会者というのが正確なところです。例の「どうして飲酒運転がいけないか」「ひいた時の充実感がないからだ」とか、ちゃんと大人のジョークをやる大喜利をやってました。


・(拉致家族の問題に触れ)「あの両親はいいな、生きがいを与えられて、テレビに一杯でて有名になれて、アメリカの大統領にも会えて……なんだあの野郎、拉致太りじゃねえか」こういう非常識な発言を聞けるのが、昔は寄席だったんです。テレビじゃ無理でしょ。


その他、「落語少年、柳家小さんに入門する」「〈理不尽な世界〉の前座修業」「二つ目こゑん、キャバレーを席捲す」「結婚、そして先を越された真打昇進」「だから政治家になってみた」「選挙くせものこわいもの」「この時、芸に〈開眼〉した」「落語協会分裂、立川流創設へ」「談志落語を自己分析すれば」「落語家という人生ーゲスト/立川志の輔など。


やっぱり談志師匠はスゴイねえ。これほどの個性的な噺家はもう現れないかもね。オススメです。(・o・)




人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)