「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「観無量寿経」(佐藤春夫)


観無量寿経 (ちくま学芸文庫)


この本はスゴイ!実に壮大な大スペクタクルな物語だー!(*_*)


漢文・古文の知識が必要な仏典を独学で読むのはほぼ不可能に等しい。しかし日本を代表する大作家・佐藤春夫はその筆力により、一人で経典を理解し、味わうことのできる訳を用意した。観無量寿経』は『無量寿経』、『阿弥陀経』とともに「三部経」と称される浄土仏教の根本経典仏や仏のいる世界を「観る」方法を説くとともに、自分の力ではいかんともしがたい人生を俯瞰し、切り抜ける方法を教えてくれる。経典の主人公はわが子アジャセに命狙われる古代インドの王妃イダイケ。なぜこのような悲劇が起こるのか説明を迫るイダイケに、シャカは因・縁・果の物語を説く。そのエッセンスを紹介しよう。



・私は20数年前に観無量寿経』を国文に写した時の感激を昨日のことのように思い浮かべるのであります。そうして、今や経への愛惜が更にその深さをさえ加えて来て居ります。この経典には、諸仏の王と呼ばれる阿弥陀仏が、釈尊韋提希夫人と阿難・目犍連等の前に出現される場面が書いてあります。生身のみ仏が現実に出現されるのですから、誠に奇跡のごとき事実です。描写は生きています。もし、人が無心に、この阿弥陀仏出現の場面を読むならば、誰も阿弥陀仏の実存について疑義を持つ人はなくなるだろうと思います。


・もし愛読を得てこの経の世界を諸兄姉によって諸兄姉のものとされたなら、よろこびは誰かの只一人のものではなく、人間界はもとより小鳥や草木の世界、山川や星々の世界、彼方の見えざる世界までの遍(あまね)きよろこびと存じます。この経には、阿弥陀仏の人格が、光の矢のような烈しさで描写されています。敢えて申せば、その点でもこの経典は正に題名を裏切らない聖典中の傑作です。


韋提希夫人)どうぞ世尊よ、わたくしのために憂い悩みのない処をお説き下さい。わたくしはそこへ参りたいと願っております。世尊よ、世の光よ、わたくしにみ仏のお国をお見せ下さい。とその時、釈尊は眉間に神々しい光を放ち、金色に普く全世界をてらし、やがてその光明を収めて釈尊自身の頂を耀かせおん頭は見る限り、光の台(うてな)となり、あらゆる諸方の仏のみ国はのこらずその中に現れ、七宝の光輝をもって合成したものもあれば、蓮華の清らかなるものもあった。ありとあらゆる国土が皆ここに現れて無量の諸仏の国土はそれぞれはっきりと認められるのを韋提希に示された。その時は、韋提希釈尊に申すには、世尊よ、これらのみ国はみな清らかに光明に満ちてはいますが、わたくしの今往くことを願うところは、極楽世界の阿弥陀仏のみもとでございます。世尊よわたくしが願を果すための信仰をお教え下さい。その方法をお授け下さい。


・これから釈尊が教え示される極楽を観る方法は13に分かってお説きになるのでありますが、今までのお経文の解釈をされた方々は、13の極楽の観法を定善(じょうぜん)と申して、普(なみ)の人々にはできないものとして示されていますけれども、心想羸劣(しんそうるいれつ)の平凡夫のための観法と考える説に同意するものです。


法然上人も日想観等はしりぞれられず、自らも天王寺では後白河法皇と共に、落日を拝して日想観を修せられたとも聞き及んでいますが、日想観等は、極楽を認識するには最も恰好は方法に思いますし、また自然を親しく感じるためにも見落とせない契機の把えられてりうこよない修行方法と思いますが、いかがなものでありましょうか。


今、私どもに、はっきり感じられる最も大きな驚きは、釈尊の存在と阿弥陀仏国、極楽国土の存在とです。この二つは大きな宇宙を作っているかに考えられるのです。



これがホントだとしたらスゴイことだよねー。しかも読み進めていくとホントだとしか思えない。何度も繰り返して読みたい本です。超オススメです!(・∀・)



観無量寿経 (ちくま学芸文庫)