最近「笑点」がつまらない、という妻の評。まあ、ずっと惰性で観ているけどそうかも。ワタシはなんといっても、三波伸介だったなあ!あのオモシロさ、名司会っぷり、まさに昭和そのものだったなあ。そして初代司会者の立川談志!個性的な噺家がどんどんいなくなるね。
さてこの本。談志の最後の落語論。「伝説の『現代落語論』から五十数年、亡くなる直前まで「落語」と格闘し続けた談志が最後に書き下した落語・落語家論の集大成」そのエッセンスを紹介しよう。
・「落語とは、人間の業の肯定である」と25年前に書いた。 人間というものの業、 それは知性でも理性でもどうにもならないもの、世間では「 よくない」といわれているもの。それらを肯定し、 寄席という空間で演じられてきたのが落語である。 落語に対する能書きを本にするのは最後になるかもしれない。 書けるところまで書いてみる。
・人間の業とは何か。人間、唯ァ生きられりゃそれでいいものを、 現代のように80だ、90だということになると、 そのあいだの退屈を紛らわせるために余計なことをしようとする。 つまり「好奇心」。この始末が悪いものを談志(わたし)は「業」 と称(い)っている、ということ。「 一生懸命に人間を楽にするモノを創ろう」 とやってきた奴も業だし、「どうやって人殺しをしよう」と考え、 実行してきた人間も、これまた業である。で、落語は、 それらをひっくるめて認めちまえ、というこった。 落語の根底にあるのが、常識に対する非常識で、それを「 業の肯定」という言い方をしたのが、若き頃の談志であった。
・志ん生は喋る。「えー、ヘビなんでなァ、何で“ヘビ”と呼( い)うようになったんですかネェ。あんなモノは、 昔は名前なんぞなかったもんでェ」“何だい、こりゃあ。 頭からすぐ尻尾になってらァ” “何だい、ってなほどのもんじゃないよォ。こんなもなァ、 屁みたいなもんだい” で、あれを“へ”と呼ったそうですね。“へが行く、 へが行くなんてンでェ”。で、そのうちに“ビィ”となって、 ヘビだそうで。
これ聞いてぶっ飛んだ。そうなんだよ。その通りなのだ。 蛇なんてなァ、へがビィとなってヘビなんだ、ってネ。これだ、 これでいいのだ。
・「大蛇(うわばみ)は、どういうわけで“ウワバミ”ってンだ? 」「あんなのは“ウワッ!”と……」「おい、驚かすなよ」「 驚かしゃしねえよ。“ウワッ”てのがあると思えよ」「うん」「 思ったか?」「思った」「バミるんだ、それが」「え?」「 バミるんだよ」「なんで?」「“なんで”ってたって知らない。 バミるんだもの」「で?」「ウワがバミるから、ウワバミ」
・「ナンセンス」は、“どっか常識とは違っている” “ズレている”という可笑しさを誘うものだ。ある意味、 バカにしたような笑いを誘う。「ウィット」は、“野郎、 巧いこと言いやがったな”というもの」「ジョーク」は、 練ってゞ作り上げるものだ。「馬鹿」は、 状況判断ができないからやることが可笑しい。で、落語はなぜ“ 面白い”のか。それは、 それら笑いのすべての要素が入っているからであり、 そこへさらにイリュージョンをぶち込んだのが立川談志である。 だから談志の落語は“さらに面白い”
・「先生、どこが悪いんですか?」「肝臓だよ」「 原因は何ですか?」「酒のせいに決まっているじゃないか」「 なんだ酒のせいか。俺のせいじゃないのか」
・職業安定所へ男が来て、「わたし、子どもが12人いまして」「 ほかに出来ることは?」
・「大学の裏口入学で早稲田の伝統を汚(けが)した? 汚したんだじゃない、守っただけの話じゃねえか、バカヤロウ」
談志の小噺、いいよねえ。キレがあるよね。落語ファン、オススメです。(・∀・)