「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール)

私が年間300〜400冊の本を読むようになってから、すでに15年くらい。もうすっかり習慣になってしまった。


この「一日一冊一感動!」ブログももう、9年、3,400日。原則としてコピペをしないで、実際の読み、そのツボとコツとエッセンスを紹介しているので、絶対に読まなければ出てこないフレーズや言葉が掲載されているのは当たり前なのだ。(^^)


さて、この本はスゴイ!スゴすぎる!!!


「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」というのだ!……大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス論壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。これ一冊あれば、とっさのコメントも、レポートや小論文、「読書感想文」も、もう怖くない!」そのエッセンスを紹介しよう。



「私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。」(オスカー・ワイルド


本を読むことは、本を読まないことと表裏一体である。どんなに熱心な読書家においても、ある本を手に取り、それを開くということは、それとは別の本を手に取らず、聞きもしないということと同時的である。読む行為はつねに「読まない行為」を裏に隠しているのだ。


教養ある人間が知ろうとつとめるべきは、さまざまな書物のあいだの「連絡」や「接続」であって、個別の書物ではない。それはちょうど、鉄道交通の責任者が注意しなければならないのは列車間の関係、つまり諸々の列車の行き交いや連絡であって、個々の列車の中身ではないのと同じである。これを敷衍(ふえん)していえば、教養の領域では、さまざまな思想のあいだの関係は、個々の思想そのものよりもはるかに重要だということになる。


教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるこということではない。そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形作っているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。ここでは外部は内部より重要である。というより、本の内部とはその外部のことであり、ある本に関して重要なのはその隣にある本である。したがって、教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別に構わない。彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。


・教養人の多くが本を読まない人間であり、逆に本を読まない人間の多くが教養人であるというのが事実とするなら、それは本を読まないということが読書の欠如を意味するわけではないからである。本を読まないことも、厖大な書物の海に呑み込まれないように自己を律するための立派な活動なのだ


・ある書物について語ることは、それを読んでいるかどうかにはあまり関係がない。語ることと読むことは、まったく切り離して考えていい二つの活動である、私自身に関していえば、私は本をほとんど読まなくなったおかげで、本についてゆっくりと、より上手にコメントできるようになった。


・「未読の諸段階」

1 全然読んだことのない本
2 ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
3 人から聞いたことがある本
4 読んだことがあるが忘れてしまった本


・「どんな状況でコメントするのか」

1 大勢の人の前で
2 教師の門前で
3 作家を前にして
4 愛する人の前で


・「心がまえ」

1 気後れしない
2 自分の考えを押し付ける
3 本をでっち上げる
4 自分自身について語る


これは、ある種、プレゼンテーションにも使える要素や考え方が満載である。ハッタリをかます方法である。「完全主義を手放す」レーニングにもなる。超オススメです。(^^)