「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「屋根裏の仏さま」(ジュリー・オオツカ)


この本はスゴイ…壮絶だ…タイトルからは想像もつかない…facebookの友人からススメられて読みました…。こんな歴史があったとは……。それが事実だったとは……。


20世紀初頭、写真だけを頼りに、アメリカに嫁いでいった娘たち。百年前、「写真花嫁」として渡米した娘たちは、何を夢みていたのか。厳しい労働を強いられながら、子を産み育て、あるいは喪い、懸命に築いた平穏な暮らし。だが、日米開戦とともにすべてが潰え、町を追われて日系人収容所へ――。女たちの静かなささやきが圧倒的な声となって立ち上がる、全米図書賞最終候補作」そのエッセンスを紹介しよう。


船のわたしたちは、ほとんどが処女だった。黒くて長い髪、幅の広い平らな足、背はあまり高くなかった。子どものころから薄い粥しか食べたことがなく、がに股気味の者もいた。14歳で、まだほんの少女のものもいた。多くは田舎の出で、船では何年も着古した着物を着ていた。


・船でわたしたちは、最初に、おたがいの名前さえ覚える前にー夫となる人の写真を見せあった。彼らはハンサムな若者で、瞳は黒く、髪は豊かで、肌はなめらかで傷ひとつなかった。三角屋根の木造の家の前で撮った写真もあった家は白い杭垣で囲まれ、芝生はきれいに刈り込まれていた。家の前の車回しでT型フォードにもたれいる写真もあった。彼らはみな、そこにいると、わたしたちを待っていると、サンフランシスコで、船が港に着いたら待っていると、約束していた。


・船でわたしたちはよく考えた。あの人のことを好きになるかしら。愛せるかしら。波止場にいるのを初めて見るとき、写真の人だとわかるかしら。


船のわたしたちは、初めて夫に会ったとき、いったいだれなかのか見当もつかないとは思いもしなかった。送られてきた写真が20年前のものだとは。わたしたちに宛てた手紙が、夫ではなく、嘘をついて心をつかむのが仕事の、字の上手なそれ専門の人が書いたものだったとは。海をはさんで自分の名前を呼ばれるのを初めて聞いたとき、ひとりは帰りたいと目を覆って顔をそむけた。ここはアメリカだ、とわたしたちは自分に言いきかせた。心配することはない。それは、誤りだった。


・19世紀に始まった日本からアメリカへの移民は、大半が肉体労働に従事する独身男性だった。結婚するために一時帰国する余裕などない彼らが頼ったのが。いわゆる「写真結婚」。見合い結婚の変形で、自分の写真と履歴を日本の親族に送ってもらって相手を探してもらう。花嫁候補からも同様に写真と履歴が届き、縁談が成立すると、花婿不在のまま日本で入籍をすませ、花嫁は船でアメリカの夫のものへやってくる。異国のちで初めて顔を合わせる夫が、もらった写真やりれきとは大違いだった。という事例はよくあったものの、大半の花嫁は帰国費用など持ち合わせず、泣く泣くそのまま夫婦としてやっていくこととなった。見込み違いだった夫と暮らし、辛い労働の日々に耐えるうちに、やがて子ができ、生活もじょじょに安定していく。だがその後に待っていたのは、強制収容によってすべてを失うという試練だった。そうした「写真花嫁」たちの忍耐のうえに、アメリカにおける今日の日系人社会の基盤は築かれたと言えるだろう。


描写が実に細かく、ドキュメンタリー映画を見ているよう。日本人であればこの歴史を知らなければ。オススメです。(・o・)