「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ヘンな事ばかり考える男 ヘンな事は考えない女」(東海林さだお)

時々読みたくなる文章が、東海林さだお氏の本。脱力感というか、そーそー!と思わず笑ってしまう文章が日ごろの疲れを癒やしてくれる。

さてこの本は、オモシロイよー!中でも印象的な章を紹介しよう。


【レッツ・トライ・ザゼン


ぼくが子供のころ、どこの家にも柱時計があった。一家に一台柱時計
そういう時代だった。二台はなかった。その家の居間の柱に、その時計は掛かっていた。柱に掛けるから柱時計。
柱時計は、いわばその家の主のような存在だった。


柱時計はゼンマイで動く。「エ?あの山菜の?」と驚くぐらい、いまの人は動力源としてのゼンマイを知らないが、当時の時計はすべてゼンマイで動いていた。一ヶ月の一回、ゼンマイを巻くのは、一家の主の仕事だった。


この頃の子供の役割に留守番があった。「おかあさんはちょっとでかけてくるから、夕方までお留守番しててね」と言われ。夕方までの長い長い留守番が始まる。当時はセールスマンがしょっちゅう来るわけでなし、宅配便が来るわけでなし、ドロボウが横行していたわけでもないのに、一体あのお留守番の意味は何だったのだろう。友だちが、「遊びに行こう」と誘いに来ても、「いまお留守番しているからダメ」と、一歩もでられないほど、留守番は厳格な役割だったのである。


当時はまだテレビはなく、ラジオはあったが、子供向けの放送は夕方だけだった。無為……。何もすることのない一日が始まる。雨の日はいっそう何もすることがない。不意に柱時計がボーンと鳴る。退屈と柱時計は、とてもいい関係にあった。あの退屈が懐かしい。あのぼんやりが懐かしい。あのボーン、ボーンでふと我にかえる自分が懐かしい。


というわけで、わたくしの少年時代はとにかくぼんやりしていることが多かった。毎日毎日ぼんやりしていたといってもいい。いまの人から見れば「何というもったいない時間の過ごし方だ」ということになるかもしれない。


ある日、急に三時間という自由になる時間ができてしまったときに考えていたわけです。さあ、何をしよう。人間の心臓には休息がないう、心の動きにも休息がない。そこで急に座禅です。座禅というものがあった。


実を言うと、ぼくはたちまちのうちに悟りとかいうことがわかっちゃったんですねー。たちまちのうちに解脱しちゃったんですねー。達磨サンや麻原サンに勝っちゃったんですねー。


その他、「春の浅草食い倒れ」「あるおじさんの筆記具史」「さあ、手づかみで食べよう」「おじさんたちのディズニーワールド(昭和のくらし博物館)」「シャベルの時代」「愛しいアイボ飼育日記」「高橋春男氏との似顔絵対談」など、抱腹絶倒!


そーそー!柱時計が懐かしいねえ。あったねえ。さあ、リラックスできた!オススメです。(・∀・)