「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「シュバイツァー ジャングルにともした愛の灯」(山室静)

ノーベル平和賞を受賞し赤道の真下のアフリカへわたり、原住民をあいてに病院をはじめて、「世紀の偉人」「原生林の聖者」とかよばれ、アフリカの医療に生涯を捧げたシュバイツァー博士。おおまかなことは知ってはいたが、もともと血の滲むような努力を重ね音楽家、哲学博士、神学博士になったのに、大学の先生の地位も、世界に知られた音楽家としての名誉も捨てて30歳を機に医学をゼロから学び始めたことは知らなかった…。(*_*) 今回改めて伝記を読みました。そのエッセンスを紹介しましょう。


・「自分はめぐまれた身分なのだ。むかしの友だちが、みんな才能をすり減らして、真っ黒になって働いているのに。自分はゆうゆと、学校へ通って、勉強をしたり、好きな音楽をやったりしている。自分だけがこんな幸福を受けていて、いいのだろうか。いや、いつかはあのめぐまれない人たちのために、何か役に立つことをしなくてはいけない」21歳のときのある朝、きっぱりと自分の生きる道を決めました。「30歳になるまでは、学問と芸術のために生きることをゆるされているのだと考えて、迷わずにその道に励もう。しかし、それからあとの一生は、まっすぐに、人々のために尽くすのだ。よし、30歳まではあんまり長くないぞ。その間に、自分の好きな学問と芸術の道で、一角のことをやり遂げなくては」


・大学では、神学科哲学科の両方に籍を置いて二人分の勉強を続けながら、パイプオルガンの練習も続けていた。


・30歳の誕生日までにはアフリカ行きの計画がすっかり決まりました。新しく医学の勉強をして医者として出掛けることにしたのです。シュバイツァーは、有名な大学講師であり、音楽家でしたが、医学の知識などは、ひとかけらももっていません。それが、なぜ、こんなとほうもない計画を立てたのか。宣教師とてでかけるのなら、まだわかります。彼は神学博士で、牧師の資格ももっていましたから。

でも、シュバイツァーは、熱帯アフリカの原住民を一番苦しめているのが、さまざまの病気であることを、知ってしまいました。だから医者になって出掛けるのが、いちばんよいことだと考えたのです。またキリストの教えを伝えるにしても、たんなる言葉としてではなく実行によって伝えたいと思いました。

いままでずっと哲学や音楽のことばかりやってきたシュバイツァーです。いよいよ医者になるとすれば、第一歩から勉強しなくてはなりません。医学の基礎となる物理・化学・動物・植物・生理学など勉強しなくてはならないことは、ほとんど無限にありました。ましてアフリカにいって、原住民を相手にするとすれば、内科だとか、耳鼻科だとか、一つの専門をやっただけではダメです。おそらくあらゆる種類の病人を手がけなければならないでしょう。


・ほとんど全ての人が反対した。「いままでせっかく身につけてきた地位や名誉を捨ててしまうのか。アフリカの原住民のために働くなどは、学問や芸術の天分にめぐまれた人間がやらなくとも良いことだ。そういう仕事は、その方面に向いた人にまかせるべきだ。」「なんのために、このわしがおまえにパイプオルガンの秘術を教えてきたと思う?お前を見込んで、ほろびかかっているこの美しい音楽を、この世に伝えたいからだ。そのお前が、パイプオルガンもなにも捨てて、アフリカの原住民の中へ行くんだと?そんなことしてなにになるんだ。この恩知らずの裏切り者め」


・原住民相手の病院はすべて無料。病院の建設、ノーベル賞の賞金を資金としてハンセン病者の村を完成、原爆禁止を訴えた。「人間はみんな兄弟」


すごいなあ…知らなかったなあ…。改めて伝記って読むといいねえ。刺激を受けるねえ。他も読んでみよう。オススメです。(・∀・)