全作品を読破している、直木賞作家の東野圭吾氏。作家デビュー30周年記念作品がコレ。
帯には「愛する人を持つすべての人へ」 テーマは、「脳死」「家族の絆」「先進医療」そして「大人の恋」といったところだろうか。
「娘の小学校受験が終わったら離婚する。そう約束した仮面夫婦の二人。彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。
娘がプールで溺れたー。病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。
過酷な運命に苦悩する母親。その愛と狂気は成就するのか」そのエッセンスを紹介しよう。
・いつからか、あの女の子を思い出す際、人魚のイメージが宗吾の頭に漂うようになった。人魚は歩けない。だからとても大切に扱われ、屋敷で保護されているのだ。もちろん、本当にあの子が人魚かもしれないなどと思っていたわけではないけれど…。
・申し訳ないのですが、どうするのがあなたにとって一番いいのか、僕には答えられません。それを決められるのはあなた以外にはいないでしょう。ただ一つだけいえるのは、悩み続けることには意味があるし、悩みの形は必ず変わっていくということです。
・ご存知かもしれませんが、脳死という言葉は臓器移植のために作られたようなものです。1985年、厚生省竹内班の脳死判定基準が発表され、その基準を満たした状態を脳死と呼ぶ、ということになったのです。はっきりいうと、全機能停止とイコールかどうかは不明です。だから判定基準は誤りである、という人もいます。脳死を人の死とすることに反対する方々の意見は、概ねそうです。
・忘れてならないのは、竹内基準は人の死を定義付けるものではく、臓器提供に踏み切れるかどうかを見極める境界を決めたものだといういことです。ポイント・オブ・ノーリターンーこの状態になれば蘇生する可能性がゼロということでした。だから名称としては「脳死」などではなく「回復不能」や「臨終待機状態」といった表現が妥当だったと思うのです。しかし臓器移植を進めたい役人たちとしては、死という言葉を入れたかったのでしょうね。おかげで余計に話が複雑になったとうのが私の印象なのですが。
・今、我が家に……うちの家にいる娘は、患者でしょうか。それとも死体なのでしょうか。
・医師として願うことは患者の幸福です。その形は様々で、こうでなければならない、というものはありません。今、あなたが幸福ならば、何もいうことはない。お話を伺っていて思いました。今のあなたに必要なものは何もないと。
・この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。そして子供のために狂えるのは母親だけなの。
これは実に考えさせられる…。さすが東野圭吾!深イイ。オススメです。(・∀・)