「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「牧野 茂日記 巨人V9名参謀の生きざま」(牧野竹代編)

私の明治大学の大先輩でもあり、ジャイアンツのV9の影の立役者でもある、牧野茂氏。名選手ではなかったが、名コーチだった。決して目立つことはなく、縁の下の力持ちに徹した、牧野氏の生きざまが日記に残されていた。その日記の本文は、実際の本を読んでいただくことにして、川上監督のメッセージを紹介しよう。


【勝利の野球に燃え尽きた牧野茂君(川上哲治)】


・二度目のベロビーチで実際にその眼で見、肌で感じ、話をじかに聞いて本当のドジャースの戦法を身につけたと思う。われわれは自分で体験したことでないと、自分のものではないというふうがある。人のものでは勝負できない。実際に三割打った者でなければ、バッティングを教えるなんてできんのではないか。われわれには、ともすればそういう考えがある。事実彼に対して、そういう批判がないことはなかった。牧野君は、他人が体験したものを、勉強して、ちゃんと身につけて、本当に自分が体験したと同じ自信を持って選手に教える。そういう資質があった。これは偉大な彼の特質であった


・牧野君自身、コーチの仕事に徹していた。「わたしはコーチでいいのだ。監督は勤まらん。コーチの器だ。そのかわり、いい監督の下について、その監督をものにする。それによって自分もプラスになる。そういう人間だから監督はやりません」と、常々いっていた。彼は、神経を使うと、ジンマシンが出るという体質があった。「私にはこういうものがあるから、毎日毎日こういうことをやって、神経を使う監督なんかできん。私の腕を生かしてくれるような、そういう大監督の下で、腕を生かせるコーチをやるのが志望です。それが生きがいです」といってコーチに徹底していた。


日本シリーズの相手のデータの情報から、このピッチャーはこうだ、このバッターはこうだ、これはこうだ、と分析する。それで、攻守にわたって緻密なデータを作る。私のやり方は、そのデータを、シリーズの前四日間くらい選手に叩き込む。それで、いよいよ明日から試合があるという前の日、いままで頭に入れたデータを全部捨てさせる。それで、試合になったら、自分の野球をやって、自分の力を発揮させる。本当の試合になって。データばかりとらわれていると、相手のことばかりが気になって、自分のやるべきことを忘れてしまう、だからデータは忘れてしまえ。この方式でやって十一回リーグで優勝し、日本シリーズに十一回勝った。こういった面でも、牧野君が考えることと私の考えとは噛み合って、成果につながったのではないかと思う。


牧野君は理詰め、理論的にいく。私は精神面でいく。だから心技一体の野球というものが、私と牧野君とが協力することによってうまく噛み合った。よくマスコミなどが、川上野球だ、水原野球だ、三原野球だという。こういうものを私は否定する。これではダメである。一つのものにとらわれていて勝ち続けられるはずがない。野球は生きているのであるから、去年この戦法でやって成功した、今年も成功するとは言い切れない。今年はこれをやらねば点が入らないし勝てないんだ、というものが出てくるはずである。


その時、その年の選手の特徴、力によって、敵を知り、己れを知り、状況を見ながら、常に変わった戦法をとりながら勝ちにつなげていく。要は勝つことである。川上野球はこれだ、などというような形にとらわれていたのでは勝てない。猫の目打線といわれようと、百姓野球といわれようと、そんなものは問題じゃない。勝つという目標を定め、それを見ながら、今どうしたら勝てるのか、という作戦用兵でやってきた。この私の考えを牧野君もよく心得ていた。


「夜寝てから、ぼくは天井をダイヤモンドに見立てて空想のゲームを展開する。いくらでも、次から次と変化するのだから、これほど面白いものはない、最終的に、よし、これでいこう、と考えて監督に進言する。監督から『もしこうきたらどうする』といわれて返答できんようでは実戦には使えない。だから空想のゲームは、とことん研究する」

・知識もさることながら、牧野の素晴らしさは流れを読む目、頭の回転のよさにあった。


あ〜!今の原ジャイアンツに欲しいなあ〜!オススメです。(・∀・)!