「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球激闘史」(広岡達朗)

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1979年の西武ライオンズ誕生のときは、興奮したよねー!当時は根本(陸夫)さんが監督。そして1982年、広岡(達朗)さんが監督になってリーグ優勝、日本一。広岡さんは男を上げたよね〜!(・∀・)
 
さてこの本。「巨人現役時代のライバル、西武・ヤクルト監督時代の教え子から次世代のスター候補まで、27人を語り尽くす!サインを覚えなかった天才・長嶋、川上監督・森との確執、天敵・江夏の弱点とは?球界きっての理論派が語る、秘話満載の広岡版・日本プロ野球史」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・1966(昭和41)年に34歳で引退したあとも、コーチ・監督として指導した後輩たちにも多くのことを教わった。選手に教えるということは、選手に学ぶことでもある。この本では、現役選手として監督として、私が死力を尽くして闘った「昭和の達人たち」の素顔を書いている。いまの野球は、投げ方も、打ち方も、捕り方も、昭和時代とは変わったところが多い。それを監督も選手も評論家も「進化」といっているが、私には6地区30球団にふくれあがった多民族集団・米大リーグの猿まねにしか見えない。どうか令和の指導者や選手たちは、先人たちの野球人生から、変わることのない「野球の本質」を学んでほしい。
 
長嶋茂雄=私を引退に追い込んだホームスチール事件」
 
・長嶋は、三塁手としては「球が来たら捕ればいいんでしょう」というレベルで終わった選手だった。つまり、内野手としてはもう一段上の「球が来るまでにどういう準備をしておくか」というところまで行っていなかったということだ。それでもファンには打つだけでなく、守備も超一流に見えただろう。だが私にいわせれば、才能だけで終わった選手ということになる。本当は守備も、もっともっと伸びる選手だった。コーチが本人任せにせず、いろいろと改善すべき点を押して、常に「手を抜くな!」厳しく指導していたら、内野手としてももっと上のレベルに到達することができたはずだ。足も肩もバッティングも全部そろっていたし、大学で鍛えられてプロに来て3年間は非の打ちどころがなかった。才能まかせでなく、最後まで自分を厳しく鍛えていたら、打撃の通算成績も、38歳まで現役だった現役生活も、もっと伸びていただろう。
 
・私が川上さんの優れたところを理解できるようになったのは、ヤクルトや西武で監督を経験してからだった。なによりすごいのは、勝つことに対する執念である。絶対に勝つ」という気持ちが誰よりも強く、そのためにはあらゆる努力を惜しまなかった。現役時代は打つためにはどうするか」を徹底的に研究し、監督になってからは、「勝つためにはどうすればいいか」に執念を燃やした。あの勝利に対する執念と集中力は、指導者として勉強になった。周りがどう思おうと「川上の野球」を貫いたのは偉い。私は川上さんと出会わなかったら、セ・パ両リーグで日本一の監督になることはできなかっただろう。いまでも川上さんには感謝している。
 
・(イチロー)丈夫というものを考えるときに、強さ、大きさ、硬さという発想をする人が多いと思いますけど、僕はまったく逆の考え方。『丈夫=柔らかさ』であると思っている。あとはバランスですよね。こういうふうに考えると、日々の体の使い方とか鍛え方も含めて、大きく変わってくる。これによって僕という選手がいまあると思います。
 
その他、「西武監督の本命は長嶋だった」「真の一歩足打法は王だけ」「千葉茂=基本を大切にしてバントの名手」「杉下茂絶対ストライクゾーンに投げなかった「元祖フォークボール」「巨人ナインが“球界の天皇”を認めた理由」「張本勲監督経験がないのは惜しい、正論を貫き続ける男」「落合博満弱いチームの監督として球界に革命を起こせ」「田淵幸一巨体に似合わず気の優しい優等生」「秋山幸二王と同じ日本刀の特訓で40本塁打の大爆発」「デーブ・ヒルトン=ハングリー精神の塊だったテスト生」「森昌彦選手を育てられなかった名参謀」「甲斐拓也=私が考えるソフトバンク3連覇の真のMVP」など。

 

ムさん(野村克也)もカネやん(金田正一もいなくなった今、こんなことを行ってくれるのは広岡さんだけだよね。野球愛に溢れています。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)

 

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