「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「漱石「こころ」の言葉」(夏目漱石・矢島裕紀彦)

高校生の頃、衝撃を受けた本が、夏目漱石「こころ」だ。先生を慕う書生と心の葛藤、そして友人を裏切った後ろめたさがが引き起こす出来事と驚愕のラスト……。

さあ、この本は、「こころ」の中の名言集かと思ったら、そうじゃなくて人間・夏目漱石の作品に書かれた真実のメッセージなのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


明治の文豪・夏目漱石が、不朽の名作『こころ』を世に送り出してから、ちょうど百年の歳月が過ぎようとしています。日本が欧米先進諸国の仲間入りを目指し、近代国家としての歩みをはじめたこの新しい時代の中で、ひとりの日本人として誰よりも悩み考えぬいたのは、夏目漱石だったのかもしれません。文部省派遣の第一回給費留学生として国を背負って英国へ赴いた漱石は、単に英文学の研究・修養にとどまらず、そもそも文学とはなんなのか。人類と世界はどう関係するのか、そして、これから自分は、日本人は、どのように生きていけばいいのか、といった根源的な問題に突き当たり深く懊悩(おうのう)しました。余りに鬼気迫るその姿に、文部省に「夏目狂セリ」という電報を打つものがあらわれるほどでした。


・帰国後も漱石は、表現活動を軸とする実人生を通して、この問題と格闘を続けます。漱石は、単なる小説家である以上に、人生を探求する哲学者であり、文明批評家であり、さらには、若い門弟や友人の相談にのって的確かつ実際的なアドバイスや励ましを与える慈父のような存在でした。その見つめ説くところは、自我のとらえ方から始まり、矛盾の多い社会とどう向き合うか、学問、恋愛から金銭に到るさまざまな実践的処世論、日本人としての誇り、死生観、そして地球環境の問題にまで及びます


・そうした漱石の思いは、文学作品の中に吹き込まれる一方、講演録や門弟知己たちへの手紙、日記(あるいは断片メモ)などの中に綴り残されました。それは漱石の胸奥(きょうおう)からあふれた「こころの言葉」とでも呼ぶべきもので、一言一句に漱石の生きた証が熱い血となって脈打っているのです。


・【誠実】

自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない。(『行人』)


・【恥】

私はすべての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考えることもある。(『硝子戸の中』)


・【鼻の高さ】

自分で自分の鼻の高さが分からないと同じように、自己のなにおのかはなかなか見当がつきにくい。(『吾輩は猫である』)


・【詩作】

葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手応えがないものだ。そこを辛抱すると、ようやく粘りが出て、かきまぜる手が少し重くなる。それでも構わず。箸を休めずに廻すと、今度は回しきれなくなる。しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に付着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。(『草枕』)


・【人の領分】

運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。(『虞美人草』)


・【文明と個性】

文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする。(『草枕』)


・【ひとり】

君は自分だけが一人ぼっちだと思うかも知れないが、僕も一人ぼっちですよ。一人ぼっちは崇高なものです。(『野分』)


・【心の底】

呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。(『吾輩は猫である』)


・【水底の藻】

愛は真面目である。真面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いている。深くして浮いているものは水底の藻と青年の愛である。(『野分』)


・【愛嬌】

愛嬌というのはね、ー自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ。(『虞美人草』)


30数年ぶりに「こころ」を読み返そう!と決めました。オススメです。(・∀・)