一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「日本人のひるめし」(酒井伸雄)

やっぱり日常の楽しみって、ランチだよね〜!ランチじゃない!?いかにリーズナブルに美味しいものを食べるかって大事だよね〜!ところが、多くの日本人が昼食をとるようになったのは江戸以降でしかない。昔は一日二食だったのは有名なハナシだよね。その日本人の「ひるめし」というのはどういう歴史があるのか!?そのエッセンスを紹介しよう。


・文明社会からすこし目を転じると、そこには現在もなお一日三回の食事とは縁のない食事をしている民族がいる。エスキモーの食事とはただ「食うこと」腹が減ったとき、食い物を胃袋につめこむだけだ。一家そろって食べることも無ければ食事時間もない。腹が減った者が、片スミの食料置場で勝手に生肉を食べる。腹の減る時間は各人各様。食料置場にラッシュはない。


・外食施設などまったくなかった古い時代、長時間にわたる外出の際には、食べ物を持参することは欠かせなかった。夏目漱石三四郎が連載された明治41年ころには、小説の中で「午の弁当」と書いてあるように、弁当という言葉は「外出先でとる食事」の代名詞として使われるようになっており、弁当が広く普及した様子をうかがわさせる。


昭和30年代ころまでは、外出の時間が食事時間と重なるときは、弁当を持って出かけるのが普通であった。ところが、給食も含めた外食の発達とともに、次第に弁当を持って出かける習慣はうすれていった。小学校での給食がはじまるとまず、子供の弁当が姿を消した。会社や役所では構内に社員食堂や職員食堂を設けて、昼食を提供するようになった。


・日本の食事は、いつでもその場で料理して、温かいうちに食べることを理想とする食事の体系になっている。ご飯もみそ汁もできたてのアツアツが最高のご馳走なのである。経済的にゆとりができ、給食でも外食でも温かい昼食を食べられるようになれば、冷たい弁当が敬遠されて衰退していくのは当然の結果である。


・コンビニ弁当やほかほか弁当では、「外出先で食事をするために持ち歩く食べ物」という弁当本来の性格から、「外で買って持ち帰って食べる物」へと性格が変化してしまったのだ。


・江戸の外食が発達した理由は、江戸が男性人口の多い都市であったことによる。江戸はほとんど何もない状態から、日本の中心地とするために作られた都市であり、もともと工事や参勤交代などはほとんど単身赴任であった。こうした男たちの欲望を満たす社会の制度、つまり性欲を満たす遊郭、食欲を満たす外食文花が江戸の街で発達したのである。それが手軽に安く食べ物を扱う振売、辻売そして屋台などの外食であった。


その他、「ひるめしのはじまり」「駅弁の歴史」「弁当の移り変わり」「外食の発達」「ひるめしと麺類」「国民食のカレーライス」「ひるめしの行方」など。

へえ〜こんな身近なものにこんな歴史があったとは!?まさに目からウロコ。オススメです。(・∀・)