「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「鉄道地図 残念な歴史」(所澤秀樹)

先日、北陸新幹線が開通して、富山、金沢が近くなったよね。しかし便利になればなるほど、毎日通勤・通学に使う路線が減っていくのだ。

さて、この本は日本の「鉄道地図」の拡張と衰退の歴史なのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


明治以降の日本の近代化のスピードは、世界史上の驚異である。その原動力となるげく整備を急がれたのが「鉄道」であった。日本最初の営業用鉄道となる「東京(新橋)・横浜間鉄道」が開業したのは明治5年(1872年)。いくらイギリスの協力なバックアップがあったとはいえ、明治維新からたったの4年で、短距離ながらも鉄道が開通したのには本当に驚かされる。そしてそれから28年後の明治33年には、北海道から九州に至るまで、国土の基幹を成す幹線鉄道網が、そこそこ形成されているのである。


・ところで、この明治33年の鉄道地図には、際立った特徴が二つほど存在する。一つは、幹線の多くが私鉄であるということ。北海道炭礦鉄道、九州鉄道、日本鉄道、関西(かんせい)鉄道、山陽鉄道というように大私鉄が幅を利かせ、それらの視線的路線の一部を中小私鉄が担当するというのが、当時の鉄道地図のだいたいの構図である。そして2つ目は、官設鉄道(官鉄。明治時代は国有鉄道をこう呼んでいた)のいくつかの路線が、飛び地的に存在しているということだ。


・結論を先に言えば、明治中期までの鉄道網整備は、官鉄と私鉄の共同作業であった。そして大私鉄の力に頼ることが非常に大きかったのである。新政府に財政余力がないことから、商人、つまり民間人に出資をあおぐ、つまり早急に鉄道を整備しなければならないのに、先立つものが明治政府にはなかったのである。


へえー!国鉄よりも私鉄の方が強かったなんて以外だよね。鉄道王国・日本の秘密がココに。オススメです。(・∀・)