「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「猪谷六合雄 人間の原点・合理主義的自然人」(高田宏)

こんなケタ外れの日本人がいたなんて驚いたっ!日本人初の冬季五輪メダリスト、猪谷千春氏の父、猪谷六合雄(いがや・くにお)氏だ。日本におけるスキーの先駆者であり、圧倒的な自然人であった。「貧乏を恐れず、自ら何でもつくり出す。スケールの大きな行動で、いつも朗らかに。雪とともに生き、七十歳を過ぎて運転を始め、車を住処として日本中を放浪した猪谷六合雄。現代人が失った人間の原型を描いた傑作評伝」そのエッセンスを紹介しよう。



猪谷六合雄は、お金のために働いたことのない人で、日常の生活は極度に単純化し、合理化して、出来るだけむだを省くことを心がけていた。多くの人には想像出来ないくらい、安価な生活を続けていた。大工仕事を習ったこともないのに、生涯に数多くの住居をつくった。家も建てれば、70すぎて運転免許をとるとワゴン車の内部を改造して書斎、ベッド、台所などを備えた住居にもする。それも第三号までつくって、老年の十年間ほどは車生活をつづける。マイナス十数度のスキー場でも、スキー教師たちは宿舎に寝泊まりするのだが、校長の猪谷六合雄ひとり暖房なしの車の中を安眠の場としていた。


・ジャンプの魅力にとりつかれたら、普通ならシャンツェ(ジャンプ台)のあるスキー場へ出かけて行くだろうが、この人はそうでなく、自分用のシャンツェを自分の手でつくってしまう。それは誰に見せるわけでもなく、どこへ記録を報告するのでもない、ただ面白く飛ぶ。子供のまま老人になったという回想がうなずける。


猪谷六合雄は、自分たちの住居を「巣」と呼んでいる。動く家での生活を「窓の外の景色は常に変化させられるし、天気がよければいいように、雨や雪の日もまたそれぞれに趣きがある。引き籠もって瞑想にふけりたい時はカーテンを引いて孤独になる」と語り、山でマイナス十度以下になると車の中のものすべてが凍るが、なかなか凍らないのは人間だけみたいな気のすることもある」と言ってのける。


雪道や砂に埋まったり、片側のタイヤを溝に落としたりという失敗もあるのだが、「やがてこの窮地から一人で、しかも制限された有合せの寺領で、いかにして脱出するかという段になると、また別な興味が湧いてきて、張り合いさえ感じることがある。だからずいぶんと力のいる辛い労働になることもあるが、まだそんなにいやだと思ったこともないし、いよいよ脱出に成功した時などは、一種の喜びと得意さを感じることもある。」


猪谷六合雄なら、旧石器時代にも生きられるだろう。二十世紀文明のなかにも生きられるーいや、現実にみごとに生きた。この人に内在する自然人が、どの時代のどの時代どの社会でも、最大限に合理的な生き方を選ばせるだろう。


・わたしが知ったころ、猪谷さんは70歳をこえていたが、スキーへの情熱はいささかも衰えず。生活のすべてをパラレル・スキー教授法の研究と完成に捧げられていた。そしてすべてをスキーに捧げるために考えだされたのが、家を捨て、車を住居にしてしまうことだった。まったくこんなことは氏以外のだれも考えないだろうし、考えたって実行できまい。


ス、スゴイ…!(・∀・) こんな人がいたということをみんなに知ってもらいたい!超オススメです。


猪谷六合雄(Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E8%B0%B7%E5%85%AD%E5%90%88%E9%9B%84