以前このブログでも紹介した、知る人ぞ知る、日本人初の冬季五輪メダリスト、猪谷千春氏の父、猪谷六合雄(いがや・くにお)氏。
日本におけるスキーの先駆者であり、スキーを作り、スキー場まで作り、雪とともに生き、七十歳を過ぎて運転を始め、車を住処として日本中を放浪した猪谷六合雄。こんな日本人がいたのか!と驚くばかりだ。この本は、昭和18年に書かれた貴重な自叙伝。そのエッセンスを紹介しよう。
・私の人生は、九十年を超えた。ただ、雪とスキーにとりつかれたの九十年だった。本書は、私がスキーに出会った時から、スキーにいちずに打ち込んだ三十年(大正初年〜昭和十八年)ほどの生活記録である。その間、雪を求めて放浪し、世の中からは孤立して、親子三人ただひたすらに滑っていた時代だった。
・スキージャンプには、まず身体のコンディションを良くしておかなければならないと考えたので、おおいに摂生もし、トレーニングもする気になった。私は前から酒は飲まなかったし、たばこもすでにやめてしまっていたが、甘いものが好きだったので、間食が多くなりすぎるといけないと思って。それもやめてしまった。その上お茶を飲むと、つい菓子もほしくなるからと思ったので、それもやめてしまった。そのほか夜ふかしの原因になりそうなトランプとか、かるたというような類のものもいっさい手にしないことにした。
・(猪谷千春氏)父がこの本を書いたのは1943(昭和18)年のことで、太平洋戦争も末期に近い時でした。当時は、戦時体制のもとに、思想・文化・芸術などあらゆる分野で国粋化がさけばれていました。洋式のものはすべてわるい、といった風潮だったのです。スポーツの世界でも野球やテニス、スキーなど外国から伝わったスポーツは肩身の狭い思いをしてきました。そのスキーの修業のために雪のある土地を求めて転々と放浪した父の生き方は、非国民呼ばわりされても不思議ではなかった時代なのです。
・父には、スキーにすべてを賭けるという信念がありました。だからこそ世間の目を恐れず、山の不便な生活にも貧しい生活にも平気でたえて、充実した日をすごすことができました。この本には、豊かな自然に囲まれたよろこびあふれる父の生活がつづられています。四季を通じてのスキー修業や山歩きだけでなく、シャンツェづくりや山小屋づくりなどにも、さらには根気と労力のいるスキー場整備ややぶ払いにいたるまで、父はおしみなく情熱をそそぎこみ。それらのすべてを楽しみの種と化していきます。おそらく父ほど人生から楽しみを引き出して生きた人は少ないのではないでしょうか・
特に、「スキーとの出会い」「スキーを作る」は、圧巻だね。超オススメです。(・∀・)!