「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「ふろしき」で読む日韓文化」(李御寧=イー・オリョン)


実にオモシロく読みました。(・∀・)「カバン」に物を入れる西洋文明に対し、「ふろしき」で包み込むアジアの文明。その違いは何か!?そのエッセンスを紹介しよう。


日本と韓国の生活や文化はよく似ている。「ふろしき」「ポシャギ」はその典型的な一つで、包む目的で使われるのは日本と韓国が代表的だ。偶然にも「フロシキ」と「フレキシブル」という言葉は恐ろしく似ているばかりでなく、実際に使うときにも伸縮自在だ。大きな物も小さな物も、丸い物でも角ばった物でも柔らかく包む。あらかじめ定められた物でなければ、何も入れることができないカバンの固さとは比べものにならない。融通がきかないカバンとは違い、ふろしきは包むこともできれば、被ることも、結ぶこともできる。そして使い終われば、平面の無にかえってしまう。


「カバン」を「鞄」と書いているのはおかしなことだ。カバンはふろしきと違い、決して「包む」ものではないからだ。固いものでは絶対できないのが「包む」ことである。「包む」ためには世界全体が絹や母胎のように柔らかくなければならない。「包む」という漢字は、母が柔らかい腹のなかで子供の生命を包んでいる様子を表している


・体を「包む」日本と韓国の衣装コードは、いったん脱げば平面にかえり、独自の形を残さないふろしきと等しいものになる。だから洋服は掛けておき、和服や韓服は畳んでおくのだ。


ピーター・ミルワードさんは、その著書「日英米もののみかた」の中で、赤ちゃんをおんぶしている日本の母親の姿に魅了されて、イギリスではお馴染みであった乳母車が、いかに不自然なものに見えたかを書いている。赤ん坊を育てる文化にも「包む」と「入れる」の二つのコードがあったのだ。


その他、「屏風の意味論」「箸のメッセージ」「坐るものの詩学」「左右がない草鞋の世界」「加減文化の明暗」「卵のつと(苞)とワラ文化」など。


改めて、ふろしきを使ってみたくなりました。オススメです。(・∀・)!