「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「吉野弘詩集」(ハルキ文庫)

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前回、詩人の吉野弘さんの祝婚歌を紹介したけど、ホントに心に残る詩だよね。


それにも勝るとも劣らない吉野さんの詩集。どれも秀作揃いです。私の大好きな詩を紹介します。



「一枚の写真」


壇飾りの雛人形を背に
晴着姿の幼い姉妹が並んで坐っている
姉は姉らしく分別のある顔で
妹も妹らしくいとけない顔で
姉は両掌の指をぴったりつけて膝の上
妹も姉を見習ったつもりだが
右掌の指は少し離れて膝の上

この写真のシャッターを押したのは
多分、お父さまだが
お父さまの指に指を重ねて
同時にシャッターを押したものがいる
その名は「幸福」
幸福が一枚加わった
一枚の写真



「竹」


縦一列の高層ビル「竹」

光も入らない円筒形の部屋ばかり

かぐや姫のほかは

誰も住まわせたことのないのが誇です



「生命は」



生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする


生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ


世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?


花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている


私も あるとき
誰かのための虻だったろう


あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


「風流譚」


葭(ヨシ…善)も
葦(アシ…悪)も
私につけられた二つの名前です
どちらの名前で呼ばれてもハイと答えます


善のさかえる世の中は
悪のはびこる世の中です
私にはよくわかる理屈ですが
人は首を傾げることでしょう



「滝」


未練気もなく切れ目なく
崖から次々に身を投げる水
彼等がうまく息絶えたかどうか
人間の私にはわかりません
水の自殺の名所だと
かねがね、水から聞いてはいるのですが…



「母」


母は
舟の一族だろうか。
こころもち傾いているのは
どんな荷物を
積みすぎているせいか。



「表裏」


「裏」の中に「表」があります
裏を見れば表もわかるのが世の常
「表」だけに目を凝らしてもその中に
「裏」を読みとることはできません


「過」


日々を過ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる。
「あなたはどんな過ちをしていますか」
問い合わせでもするようでー


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