「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「姉貴の尻尾 向田邦子の想い出」(向田保雄)

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へー!こんな本があったんだっ!向田邦子さんの弟さんの本だよー!赤裸々だなー!身内だけにこんな見方をするんだねー!(・∀・)

 

姉に似た達意の筆で弟が描く作家の素顔。好奇心が強くお転婆で、おだてに弱くせっかちで、やさしい人。生き生きと甦えるなつかしい面影――好奇心旺盛でお転婆で、おだてに弱くせっかちで、人には見せない地道な努力家、家族思いのやさしい長姉……。実弟が遠慮なく、あたたかく語る、素顔の向田邦子。いきいきと甦(よみがえ)る、早世した稀有な作家の、なつかしい面影。姉に似た達意の文章で、もの書きという愉快な変てこ人間を描く、しみじみ楽しい好著」そのエッセンスを紹介しよう。
 
他人(家族も含めて)の前では、自分を単純でオッチョコチョイと思わせる演技をしながら、あるいは優雅に水に遊ぶ水鳥の姿を見せながら、その実、水面下で命がけで水かきしていたのではないかと思われてならない。もっと、これだって私の勝手な想像で、本人はもっと気楽にやってたかもしれない。いったい何人の人が、何本の尻尾を掴んでいるのだろうか。中には、本人がそっと引っ込めた尻尾もあっただろう。いちばん多くの尻尾を掴んでいたのは、父ではなかったろうかー。
 
姉がひとの物をねだる手つきは、女にしては幅の広い手、短い指が、まるでガラス窓に吸い着くヤモリの指そっくり。指先に吸着盤があるかのように、吸い取っていった。
 
姉が本当に嫌いだったのは、もっと人間のうちにあるものー折り目、けじめ、礼儀のないこととか、本当の価値がわからないのに、ただ物だけの物欲とかー。
 
・もし、姉が長い間病床に……考えてみる。確かにそれは、時間をかけて死を少しずつ周りに納得させてくれる。でもこれは、エエ格好しいの姉には似合わない。といって今度のように、突然消えてしまうのは、いくら他人をびっくりさせるのが好きな人とはいえ、度を超えている。動いている時と、動かなくなった時の、両方見ているのは私だけ、ということになる。
 
「私は小物だから」というのも、姉の口グセだった。デッカイことができないというのである。大人物よりも小人物に興味があり、歴史上の名だたる人物より、路地裏の無名の人物のほうに興味をひかれるというのである。その後きまって、私は小物だからーとなる。
 
何か、あたらしく始めようとする時、姉は、事前に、独りひそかに練習しておいて、ある程度サマになってから「☓☓やりたいんだけどー」と言う。では、と教えてくれる人がいると今日はじめてなんです」と言う。「はじめて?すごいですねえ」褒められて、得意気に鼻をふくらませ、わざとガニマタで歩いてみせたりする。ゴルフも、ボーリングもそんな風にしてスタートしている。地道な努力をしない怠け者、と自分では言っているが、それは一種のポーズで、完全主義者には、いつだって地道な努力が、どこかにひそんでいるのである。他人さまに、ぶざまな、みっともない姿はお見せできない。つまり、エエカッコシイの姉であるひとさまにカッコイイ姿をお目にかけるまでの努力は、カッコ悪いのである。

 

いいねえ。向田邦子さんのような姉貴が欲しかったな。オススメです。(・∀・)

 

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